「恋愛や仕事のためのトライアンドエラーが楽しい」松㟢翔平さんに聞くこれまでの10年、これからの10年

AM8周年記念企画:「恋をとりまく10年」として、テラスハウス出演で昨年注目を浴びた松㟢翔平さんにインタビューを敢行。俳優やモデルとして活動するかたわら、コラムの執筆や映像制作等幅広い仕事を行う仕事観や、「彼女はいないよ、セックスはしまくってるけど」発言が話題を呼んだ恋愛観等から、これからの新しい生き方をさぐります。

松㟢翔平さんインタビュー

――10年前は何をされていましたか?

松㟢翔平(以下、松嵜)

高校1年生でしたね。ものを作ることや映画を観ることが好きだったので、芸術系の高校に進学しました。

――その時代の恋愛のことも、伺ってよろしいでしょうか?

松㟢

どんどん聞いてください! 高校1年生のときに、初めてできた彼女が、クラスのマドンナみたいな子で、彼女がなぜか僕のことを好きになってくれて。クラスに男子が5人くらいしかいないから有利なんですよ。
ただ、結構すぐに別れちゃって。高校生って同性の友達といるほうが楽しかったりするじゃないですか? それでメールで別れを切り出したら、「キープでもいいじゃん」みたいなことを言われて……。

――すごい展開ですね。

松㟢

当時僕は「キープ」の意味がわかんなくて。結局別れましたね。その子はクラスの中心人物だったので、次の日からクラスの女子がみんな敵! 状態に。それが高校1年の1学期だったので、徐々に打ち解けていく3年間でした。

「映画が作りたい」から役者の道まで

松㟢翔平さんインタビュー

――その後、多摩美術大学へ進学されます。

松㟢

高校卒業ぐらいのころは自分が何をしたいのかわからなくなっていて。ひとりでCGやクレイでアニメを作るのに熱中してはいたけど、絵は下手だし。美大に憧れがあって東京藝術大学の先端芸術学科を目指していたんですが、落ちちゃって。
浪人は向いてないと当時の担任に言われて…3.11のとき、高校二年生の春休みに高校が1ヶ月くらい休みになったんです。そのころすごく怖くて外に出たくなくて、実家の隣のレンタルビデオ屋にだけ通って浴びるように映画を観ていたことを受験のころ思い出して。
その年に唯一まだ受験できた多摩美の映像演劇学科を受けたら合格しました。夜間部で、当時ほとんど定員割れしていたのかな? 今はもうない学科なんですけど。

――大学生活はいかがでしたか。

松㟢翔平さんインタビュー
松㟢

夜間だったので、社会人が多かったんです。6個上の同級生にかわいがられて、クラブに連れていってもらったり、音楽を教えてもらったりして遊び方を覚えました。

大学では自主映画の現場にずっと入っていて。裏方は一通り経験したのですが、僕は下っ端なので、制作部として役者と距離が近いところで接することが多かったんです。
その中に山本圭佑くんっていう先輩がいて。毎回主演を張っていたりして、すごくかっこいい姿を間近で見ていて。ほとんど同じ座組で映画を撮るので、2年間ずっと彼の姿を見て、役者に憧れる気持ちが芽生えて、自分も学生の現場で役者をやりたいと手を挙げるようになりました。

大学四年のみんなが就活をはじめる時期にちょっと焦って、事務所に応募したりするポートフォリオを作っていたら、たまたま一緒にいた先輩の家に今の事務所の社長である森岡龍が現れて。先輩から「お前、その資料龍さんの事務所に持って行ってもらえば?」と言われ、そこからとんとん拍子で当時の事務所に所属が決まり。
でも、オーディションもほとんど受からなかったし、ぜんぜんダメダメでしたね。

3年目ぐらいで事務所から離れることになって。当時、仕事はないけどやる気は見せたいから、オーディションでスケジュールNGを出さないために長い旅行に行ってなかったんです。いい機会だし旅行に行きたいと思っていたところに、台湾に住んでいる子と知り合って意気投合して、「今、台湾のシェアハウスに一部屋空きがあるからどう?」「行っちゃおうかな」と。

――ノリで始めた台湾生活が、大きな転機となったわけですね。