奢っても奢られても
どこかがちくっとすることがある
4回も結婚してるのに、結婚していた人との生活でお金のことをどうやり繰りしていたのか、はっきりした記憶がない。
ということは多分殆ど私は何も考えていなかったということだろうと推察できる。
生活に必要なお金は男の人が稼いでくるものという、まったく意味のない思い込みがあったのです。
そして旦那さんもきっとそれに応えることが責任であると思ってくれていたのでしょう。
苦しめてきたんだなあと今は判ります。
経済観念というよりも社会性そのものがないので、旦那さんが一生懸命に働いて稼いでくるお金に対して、ありがたみとか敬意とかが欠落していたんだと思います。
独り暮らしになってようやく、あっちのスーパーとこっちのスーパーで野菜の値段を比べる程度の知恵がついた。
コンビニのATM手数料が惜しくてわざわざ遠くの銀行まで歩くなんて労力も、この頃は惜しくない。
そういう当たり前の感覚が身に付いてきた私は、かなりケチンボになりました。
どうでもよくない(どうにかなりたい)男の人と逢うためなら、1食2食抜いても余分なお金を用意して出かけたいし、ちょっとでも余裕があればちっとも予定なんかなくたって逢いたい男の子と逢う時のために服を新調したりもしたいけど、どうでもいい男の人との暇つぶしにお金を使いたくない。
こんなことは、働く女の人にとってきっと当たり前の感覚なのでしょう。
ただ、そういう当たり前の感覚を持っていれば、お金が恋の障壁になったりはしないだろうと思うのですが、どうやらそうとも限らない。
障壁とまではいかずとも、何かしら再考すべき問題点が含まれていることが多い。
歳下の女友達は、「だって、ちょっとでもいい思いしたいじゃないですか」と言いながら(自分よりは)お金に余裕のあるオジさまとの不倫関係を続けていたり、同世代の奥様連中は「いいのよ、だってカワイイんだもん」と言いながら(自分よりは)貧乏な若い男の子にいいようにタカラレて恋愛気分になっている。
結婚のケの字も見せない彼氏とずるずる付き合ってる女友達は「お互いにある方が出せばいいと思ってるからね」と言いながら、記念日に花束一つ贈られることのない関係に実は凹んでいたりする。
本人がそれでいいってんだからあれこれ言う筋合いじゃありません。
しかしまあ、そういう類いの「愛」と「お金」は、傍で見ている方もちくちくと胸が傷みます。
奢っても奢られてもいいし、どんなに高価な贈り物をしてもされてもいいんだけど、出しても出してもらっても、自分の歓びにも恋の悦びにもならず、どこかがちくっとするのであれば、それは心的負債なのではないでしょうか。
Text/前川麻子
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