「甘えてはいけない」というタブーが
裏返ったときの気持ちよさ

 しかしその強い思い込み=呪いのようなものが、「対価を支払った」ことで、ほんの少しだけ弱まるわけです。
するとその瞬間、少しのひび割れからダムが決壊するかのように、ものすごい勢いで依存が始まる。
ホスト遊びや、スピリチュアルに狂ってしまう女たちもまさしく、同じようにこの「ダムが決壊した状態」にいるのだと思います。
いや、ダムというより、もしかしたらツッパリ棒のようなものと言ったほうが正しいのかもしれない。
強い力でツッパっていたものが、バリッと折れてしまったら、それによって抑えていたものはどうなるか。
……って考えるのも怖い。
怖いが、気持ち良くもありました。
その気持ち良さって、今までツッパリ棒によって保たれていた「甘えてはいけない」というタブーが反転し、価値観が覆されたときに生まれたギャップを「快感」だと勘違いしているにすぎないと(今なら)思うのですが、それを分かったうえでも、あれは気持ちよい経験だったなあとしみじみ振り返ってしまう自分がいます。

 とにかく目が覚めた瞬間から、アイドルの夢を見ることが出来なかった自分を責め、潜在意識下にまでアイドルの名前を刻み込まんばかりにCDを聴き込み、1週間でitunes自己最高再生数をたたき出し、イベントではとにかくCDを買う・買う・買う。
もちろんお金はどんどん減る・減る・減る。
とうとう残高が1000円以下になった時は、とにかく交通費を削減しようと思い、片道3時間の道のりを歩いたこともありました。
こうして文字にするとまるで苦行ですが、対価を支払った上で、甘えて依存していくのは、甘えられない人間にとって本当に気持ちよかったんですよ。
すり減って行く焦りも含めて…。

 これって先述の通り、ホスト遊びやスピリチュアル狂いと同じような感覚だと思うのですが、もっと一般レベルのところに下げれば、恋愛における依存だってそうでしょうね。
何かをきっかけに甘え封じが解け、スウィートな関係が依存に転じる瞬間には、きっとツッパリ棒の折れる音がしているはずです。