“ノマドセックス女子”炎上によって
叩かれたのは誰だったのか
この連載の第1回が公開されるや、Twitterを中心にほとんど炎上のような反響が巻き起こり、中には侮蔑や嫌悪感に近い批判もありました。
この記事のせいでAM全体の品位を下げてしまったのではないかと、他の連載陣のみなさんには『どげせん』『謝男』ばりの土下座をかましたい気持ちでいっぱいです。
ただ、おもしろかったのは、「女性を性的に貶めるような記事はけしからん!」といった、ある意味まっとうな批判のほかに、「ほらほら、こういう女がいるからダメなんだよ!」という論調の叩き方が、思いのほか多かったことです。
正直、いるかどうかもわからない“ノマドセックス女子”という存在(この手の記事でそれを言っちゃあおしまいなんですが、ここまで読んでくださった酔狂なみなさんになら言ってもいいですよね?)を叩くということは、もともと女性に対してなんらかのミソジニー(=女性への蔑視や嫌悪)や、男性と同じことを女性がすることに対するルサンチマン(男性の女遊びは、ときに武勇伝的に語られるのに)を抱いていたということでしょう。
“ノマドセックス女子”という言葉が生まれ、仮想敵が出現したことによって、そのミソジニーやルサンチマンを向ける矛先ができた、というわけです。
なんだか、これってネットの炎上の仕組みそのものであると同時に、本来の“ノマドワーク”批判の縮図にもなっているなあ、と思ったのでした。
確かに、これまで通りの働き方や恋愛を理想とする人にとって、ノマドワーカーや“ノマドセックス女子”はルール違反であり、モラルから逸脱した存在です。
でも、そのルールやモラルそのものが、これからは変化していく可能性だってあるのです。
だとしたら、問題にすべきはノマドワーカーや“ノマドセックス女子”ではなく、彼らを生み出している社会の仕組みや背景のほうではないでしょうか。
“ノマドセックス女子”という言葉が、人はなぜセックスするのか、人はどう恋愛すべきなのかといった根源的な問題を突きつけ、いま現在“よし”とされているセックス・恋愛・結婚のスタイルを考え直すきっかけになってくれたら、私としてはしめしめです。
ここまで長いことお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
そして、私のことは嫌いでも、AMのことは嫌いにならないでくださぁい!!!
Text/福田フクスケ