強い女も弱い女もそれぞれ悩むときがある。『駆け込み女と駆け出し男』で人生に新しい風を吹かせよう

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こんばんは。気絶ちゃんという(中略)ふざけた人間です。

あと、30代も半ばにさしかかろうとしているけど類が友を呼びまくるので既婚の友人の方が少ない人間です。

結婚って人生の一大事で、人によってお祭りだったり、バンド結成だったり、はたまた上中下巻の中巻あたりにあったり……いろいろな見方がありますよね。更にその向こうの離婚までいくと、もっと濃縮されたドラマがあったりなかったり。今回は、映画だからこそのユニークな離婚模様をフィーチャーしていきたいと思います。

「結婚=好きな人とするもの」ではなかった時代

非婚・晩婚や少子化は由々しき問題だぞ!と言われると独り者としてはえへへへと困り眉で笑うしかないのですが、「昔はよかった」的な論調で来られると「ほんとにー?」と訝しんでしまう気持ちもあります。

確かにたとえば100年前なら結婚しない人の方が圧倒的に少なく、相手が見つからなくても周りが探してくれるくらいの風潮でした。ただしそれらは大部分があくまで家のため、稼業のため、生活のための結婚。必ずしも好きで一緒になるわけでもなければ、一度夫婦になったら気が合っても合わなくてもよほどのことがない限り別れることも難しい。

そんな時代の悩める女性たちが駆込む最後の砦、縁切寺を舞台にした映画『駆込み女と駆出し男』です。

冒頭からいきなり江戸の町の道ばたに晒されている傷だらけの女たち。時は天保、といえば質素倹約を掲げた天保の改革で芸術・風俗の類が厳しく取り締まられていた頃……という時代背景の話はさておき。ただ芸を披露したというだけで罰を受ける女たちを見かねて、人だかりの中から「楽しいことは全部悪いことかよ!」と声を上げた男が一人おりました。見習い医者にして戯作者志願。あらゆる意味で「駆出し」の男です。

駆出し男がいれば、駆込み女もいる。しかも二人。

唐物問屋堀切屋の妾・お吟は主人と仲良く酒を酌み交わした後に何食わぬ顔で出奔。

一方製鉄に生きる女・じょごは嫁いだ先で暴力をふるわれ、そのうえ働きづめの境遇に堪えかねて縁切寺・東慶寺へと向かいます。

道中出会った身の上も性格も違う二人の女は、縁あって共に寺へ駆け込みました。

そこで待っていたのは裁判所さながらに縁切りを判じるお宿、様々な事情で離婚成立を待つ女たちが籠る山のお寺、そして駆出し男こと信次郎や東慶寺の周辺で生きる人々でした。

一見するとややとっつきにくそうにも見える本作ですが、春夏秋冬と共に巡りゆく人生の悲喜こもごもを描く傑作です。

フィクションでも、知らない世界を覗くのは興味深いもの。幕府公認のシステマティックな縁切寺という題材の面白さもさることながら、実際に観てみると驚くほどに清々しく、女性が全身全霊で享受できる物語になっています。

のっけから流麗な口上のような台詞ばかりで、まぁその響きのよさったらない。それでいてくすりとくる場面もたくさんあります。

「素を晴らす、と書いて【素晴らしい】です。更に素晴らしくて敵わない、というときには【素敵】と言いましょう!」

駆込み女たちが離婚を望む理由には、現代にも通じるものがたくさん。妻を侮り軽んじて尊厳を傷つける夫もいれば、根は良い人なのに博打や女癖などの問題がある夫も。

この縁切寺には虐げられてきた女たちにとってのシェルターのような役目がありつつ、でも、それだけじゃない。24か月もの長い間、女たちは尼僧のような規律正しい生活をしながら、共に下働きや武芸の稽古に励みます。そこはさながら将軍のいない大奥状態。時にぶつかりながらも強固なシスターフッドを育み、己の人生を見つめなおした彼女たちが自分でも知らなかった自分を見つけていく様には胸がじんと温かくなります。

なんといっても大泉洋が演じる口八丁の信次郎がばっちりのはまり役!男子禁制の縁切寺に医師として赴くくだりでは、色めきたつ女たちや目くじら立てる尼さんたちとの丁々発止が大変楽しく、働き者の純真なじょご・戸田恵梨香とのほんわかしたささやかなロマンスはなんともかわいらしい。

そしてじょごと強い絆を持つお吟役の満島ひかりをはじめ堤真一、キムラ緑子、樹木希林……などなど、主演級から名脇役まで揃った渋みのある贅沢なキャスティングは、何度でも観たくなるような、まさに【素敵】な出会いでした。

人生の節目に気持ちよく風を通してくれるおすすめの一本です。