「都合のいい女であれ」との呪いを受けてしまう女性はいる。呪いの再生産を防ぐために

自由に生きる女性の画像 Artem Bali

みなさまこんにちは、みみこです。
前回は「ちょうどいいブスのススメ」ドラマ化に関して書かせていただきました。

問題のドラマ、「ちょうどいいブスのススメ」は炎上を受けてドラマタイトルを「人生が楽しくなる幸せの法則」というありがちな自己啓発本みたいなものに改題することになったようです。違うねん、タイトルに含まれる「ブス」っていう単語に過剰反応してるわけでは決してないねん。
火に油を注ぎたかったわけではないだろうに、「ブスという単語をとりあえず取り除く」という方法に走ったせいで炎上はまだ続きそうです。このまま放送中止したほうがいいと思う。焼け野原みたいな視聴率になりそうだし。

さて、今回は「ちょうどいいブス」騒動のことを考えていたときにふと思い出した、ある友人の話をしようと思います。「ちょうどいいブス」は呪いである。前回私はそう書きました。
その呪いは「ちょうどいいブス」という言葉が生まれるずっと前から存在していて、私の周りにも蔓延していました。

今回は、その呪いを受け続けると、いずれ自らが呪いを再生産する存在になってしまうというお話です。

以前の職場で出会った彼女

彼女はYちゃんといって、私がADHDを炸裂させながら職を転々としていたころに、転々としていた職場のひとつで出会いました。
Yちゃんは私より少し年上で、その職場に入る前はずっと繁華街の居酒屋でホールのバイトをしていたと言っていました。人当たりが良く、また人あしらいも上手いYちゃんはバイト先でも、私と出会った職場でも重宝されていたようです。
ちなみに私はというとADHDが炸裂していたので全っ然仕事が出来ませんでした。無理だ、営業事務は。

Yちゃんは高校を卒業して田舎から大阪に出てきて以来、ずっと一人暮らしで居酒屋のバイトをしていたそうです。毒とはいえ実家住まいで、親のすねをゴリゴリに齧りまくって生きてきた私が今まで出会ったことのないタイプの人でした。

彼女はいつも身だしなみをきちんとしていました。
髪は長いストレートで明るい色に染めていました。その髪も根元だけ黒くプリンになるようなことはなく、いつもさらさらと彼女の背中で揺れていました。

私は当時も今も髪を短くしていて(結婚式までは伸ばしていましたが、終わったので30センチほど切りました。髪を寄付するヘアドネーション、気楽に善行が積める感じがするのでおすすめです)私は自分の短い髪を気に入っていたのですが、Yちゃんは私に何度か「みみこ髪伸ばしたらいいのに。なんやかんや男は長い髪が好きやで」と言いました。
Yちゃんの言動に違和感を覚えたのはそれが最初です。

Yちゃんは職場の人気者でした。特に、おじさんたちから人気がありました。上司からは目をかけられていたし、取引先のおじさんたちにウケがいいからとYちゃんはしょっちゅう外回りに同行させられていました(私はずっと社内にいました。おじさんウケが悪いから)。
当時は「Yちゃん明るいし、いつも笑ってるし、居酒屋バイトで培ったコミュ力もあるもんなー」と、ボーっと考えていました。Yちゃんはどうして、おじさんたちからウザい絡みをされていても笑顔でかわしているのか、考えもしませんでした。

ある日のことです。私はその前日に実家で弟からセクハラを受け、心底疲れきっていました。世の男性全てが憎くて、メンタルは決壊寸前でした。
そしてつい、Yちゃんに弟のことを愚痴ってしまったのです。

Yちゃんは、私が苦々しい気持ちで弟のことを話すのを聞いてこう言いました。

「うーん、まぁ、男の子だからね!」

Yちゃんは笑顔のままでした。
固まる私に、更に「男の子ってみんなそうじゃない? 仕方ないやん。みみこが大人になってあげるしかないよ」と言いました。ごく軽い調子で、よくあることのように。

一瞬、何を言われたのか理解出来ませんでした。大人になる? 私が?
大人になって、性的いやがらせ加害者である弟を、許せ?
「男はいつまでも子供だから」「男は性欲を我慢できないから」、性的いやがらせをしても「仕方ない」ので許されるべきで、被害者であるはずの女である私はそれを「大人になって」許さないといけない?
性的いやがらせを許せるのが大人なら、被害を受けて傷ついている私は、ワガママを言っている子供なのでしょうか。

被害を受けた私の方が、反省を促されるこの状況は、絶対におかしいと思いました。

例えば職場でのセクハラも、電車や路上での痴漢被害も、悪いのは絶対に加害者です。
それを笑って受け流したり、「もし冤罪だったらどう責任を取るつもりだ」などと責められる謂れはありません。

現在の私がその場にいたなら、レッドカードを振りかざしながら「アウトーーー!!!」と叫ぶのですが、当時の私は言語化の出来ないショックを受けながら「そうやね」と言うしかありませんでした。
Yちゃんは、職場で落ちこぼれている私にも優しい、友達だったから。