飛ばんとしゃーない
話を戻そう。
念願の水中メガネを装着し、然程大きくもない我が家の湯船で、何やらバシャバシャとプール気分を満喫する娘。
時折、湯に浸けた顔を右に左にと動かしているが、魚や、複雑な海底の地形が拝めるわけでもない。
所詮はただの浴槽……殺風景である。
それではつまらないだろうと、
「何か“宝物”を入れてみたら?」
と彼女にアドバイスする。
小学生の頃。
水泳の授業で、プールの底に小石やおはじきを沈め、“宝物”と称し我先に拾い集めたりした、あれである。
「え――!?宝物!?」
娘の表情がパッと明るくなった。
あれこれ説明するまでも無く、僕の考えを察した娘は、
「それいいかんじだねー!?わかった―!!えーっと―……」
浴槽の縁を跨ぎ、洗い場へ出てくると、床に置かれたバケツをゴソゴソと漁り出した。
中身は、彼女お気に入りのお風呂用のおもちゃ。
そこから幾つか選び、次々にお湯の中に投入するが、これがいずれも沈まない。
基本、風呂周りのグッズは、浮くように出来ている。
しかし、水中メガネで愛でるためには、“宝物”は沈んでいなければならない。
苛立った娘が、
「も――!!ぜんぜん“した”にいかない!なんでー――!?」
母親譲りのヒステリーを爆発させた。
妻の金切り声はJアラートさながら、僕の肝をキンキンに冷やすが、娘のそれは無害。
むしろ、心地良い。
僕は、まず“したにいく”ではなく“しずむ”であり、その反対は“うく”というのだと即興の国語の授業を施した後、
「水より軽いからだよ!」
湯船に漂う、スーパーボールや、空の水鉄砲、何かの人形の類が、一向に沈まない理由を解き明かした。
「へ―、なるほどね―!」
口の利きかたこそ生意気だが、
「じゃあ、お――っき―――ものは“しずむ”ってことだね!」
続いて披露した自説は、子供らしさ全開。
勿論、5歳児に“浮力”が理解出来るとは僕も思っていない。
それは、もはや一握りの天才。
娘は、正真正銘、平凡である。
とは言え、僕も中々の親バカ。
偉人達に付き物の、『幼少期に天才の片鱗を垣間見せるエピソード』、その主人公に自分の子供が抜擢されることはない……とは言い切れぬ。
一縷の望みを託し、
「だけど、船はあんなにおっき―のに浮いてるよね―?何でかな―?」
そんな問いを投げ掛けてみた。
こういうやりとりが、子供の考える力を育てる……何処かの誰かが言っていた気がする。
すると娘は、
「ハハハハハ!そんなの当たり前じゃ―――ん!」
娘の語尾がすっかり“じゃん”化している事実に、関西出身の僕が、少なからずショックを覚えたことは今はどうでも良い。
何より、僕が衝撃を受けたのは、
「だってさ―、おきゃくさんがいーっぱいのってるのに、しずんだらたいへんじゃーん!」
という、一休さん顔負けの、とんち感溢れる娘の返しにである。
お笑い史に名高い、『飛ばんとしゃーない』というネタを御存じだろうか。
詳らかに説明するのも野暮だが、
「飛行機ってなんで飛ぶと思う?飛行機が滑走路走っていくやろ?どんどん滑走路なくなるやん?……飛行機、飛ばんとしゃーないやろ」
言わずと知れたレジェンド、『紳助竜介』の漫才、その一節だが、件の娘の発言はまさしく、『飛ばなしゃーない』ならぬ、『浮かなしゃーない』であった。
もしかすると、彼女にはお笑いの才能があるのかもしれぬ。
しかも親のようなコスプレキャラ芸人ではなく、正統派の漫才師の。
正直、芸人になどなって欲しくは無い。
しかし、万が一そうなった暁には……スーツでも買ってやろう。
アルマーニでも、シャネルでも何でも御座れである。
※2018年2月22日に「TOFUFU」で掲載しました。
Text/山田ルイ53世
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