晩年もつきることない愛の炎! 天才画家・ピカソ(後編)
正式な妻以外にも何人かの愛人をつくり、自由奔放に恋をしたピカソは生涯に2回結婚し、3人の女性との間に4人の子供を作っています。前編では、成功に隠された美の女神との出逢い、同棲をしていた病弱な彼女の死、バレリーナの妻と17歳の愛人、情熱的な愛人同士の喧嘩などをご紹介しましたが、後編では、50歳以降の恋を紹介します。
ピカソは50歳を超えても恋の炎がつきることはありませんでした。恋愛から得たエネルギーが芸術への原動力になっていたといっても過言ではないピカソ。
ピカソはたくさんの恋愛の果てにどのような女性に行き着いたのかをたどります。
ピカソに自ら別れを告げた唯一の女
ピカソは50を過ぎても女性との交流が盛んでした。そんな時に出会ったのが、画家志望のフランソワーズ・ジロー。
23歳と若く、2人は絵画の制作活動を通して親交を深めていき、互いに惹かれ合っていきました。ピカソの情熱には、今まで数多くの女性が翻弄されてきましたが、彼女もまた選に漏ることなく、子供を身篭りました。 息子・クロード、娘・パロマと2人の子供を儲け、理想的な生活は幸せそのものでした。
しかし、一緒に生活するうちにフランソワーズはピカソの身勝手で威圧的な性格に疲れを覚えていきました。彼は他者との関係をゲームととらえ、常に勝つか負けるかで評価。また、別居する妻オルガと、元愛人マリー=テレーズ、さらに今は元恋人になった知的なドラまでを、 まるで彼個人の飾り棚から必要に応じて取り出せる所蔵品のように扱い続けていました。
パロマを出産後、体調を壊したフランソワーズに対しても、「女は子供を産むと 魅力を増すものなのに、なんたるざまだ」と突き放し、言い返す気力もない彼女に「怒るか泣くかしてみろ」と挑発。ところが別れ話になると、「私に発見 された恩を返せ」と激怒し、ついには「私のような男を捨てる女はいない」とまで言ったといいます。結局、長続きはせず、フランソワーズとの関係も10年余りで終焉を迎えます。
ピカソはたくさんの女性と関係を持ってきましたが、彼を捨てた女はフランソワーズだけ。「私の世界から踏み出してみろ、砂漠へ行くぞ」と引き止めるピカソに、「だったらそこで生きてみせる」と言い返したそう。彼女は独自の世界を築き、戦後アートの一翼を担う芸術家の一人となりました。
後にこのフランソワーズがピカソとの生活について暴露本を出したことで、子供との間にも断絶が生じました。ピカソの人と芸術を語ったこの本はミリオンセラーになり、フランス語でも翻訳の話が出ます。ピカソはそれを阻止しようと 訴訟を起こしますが、3審とも敗訴。「お前が勝った」と、彼はフランソワーズに電話で告げ、これが2人の最後の会話になります。
晩年に出逢った、人生最後で最高の女ジャクリーヌ
フランソワーズとの関係がギクシャクする中でピカソが出会った女性。彼女の名前はジャクリーヌ・ロック。ピカソ70歳、ジャクリーヌ26歳。彼女とはモデルとして出会い、ともに旅行をしたり、闘牛を見学に行くなど、徐々に時間を共有し合う関係に。
ピカソにとってジャクリーヌは偉大な存在でした。ピカソの身の回りの世話から、通訳、外交など秘書の役割を担い、晩年のピカソに献身的な愛情と静かな制作の時間を与えました。 年老いた男には、それがまるで母親であるかのように心の支えとなり、同時に良き理解者となったのです。
そして、8年の交際の後、正妻オルガの死によって、2人は結婚します。ピカソが80歳のことです。ピカソにとってジャクリーヌが最愛の女性であったことは間違いありません。それを証拠に彼にとって、ジャクリーヌは最後の女性であったし、彼女への作品は数多く残されています。ピカソはジャクリーヌの肖像を多く描きました。それは確かにキュビスムや新古典主義をとりいれた形態のものではあるが、どれもこれもジャクリーヌその人の姿を映したもの。
これはオルガを険悪な結婚生活を象徴するような「牙をむく怪獣」の姿で描いたことや、ドラ・マールが「泣く女」として描かれたこと、またはマリー・テレーズが「盲目のミノタウルスの手を引く少女」として、あるいは幸福を象徴するような「ふくよかな形の女」という記号的な姿で描かれたこととは一線を画すもの。ピカソはジャクリーヌをジャクリーヌとしてのみ描いたのです。
1973年4月8日。ピカソは91歳にしてこの世を去ります。 亡くなるまでの23年間をジャクリーヌと過ごした日々はかけがいのないものだったに違いありません。たくさんの恋愛を経て、ピカソは最愛の女性にめぐりあうことができたのでしょう。
ジャクリーヌは、1986年にピカソの後を追ってピストル自殺をしました。ピカソのいない人生は、ジャクリーヌにとって意味をなさないものだったのかもしれません。
多くの女性を翻弄し、愛に芸術に生きたピカソ。そのエネルギーが、死してなお作品に宿っているのでしょう。ピカソの作品の魅力は現代の人の心をも掴んで離しません。
Text/AM編集部