「若さ至上主義」やめない?若さの恩恵を受けた私が思うこと/妹尾ユウカ

妹尾ユウカ

女は何歳を境にMIU MIUのバッグを持つことに引け目を感じ始めるのか。港区のバーからミスディオールの匂いが消えてゆくことを想像すると、そんなに好きな香りでもないのにどこか寂しさを感じる。

日本の“若さ史上主義”によって失われるものが沢山ある。分かりやすいもので言うならば、ファッション。私の母ほどの年齢になると自分の「好き」よりも年齢や体型を考えて「無難さ」や「バランス」を優先する。それは誰かから「みっともない」「年甲斐もない」と思われないため。

普段、私の母はグレーやネイビーのアイテムばかり身につけているが、本当は赤やオレンジが好きなのを知っている。去年、コートを選んだときも最初は赤のコートを手にしていたのに、レジへ持って行ったのはネイビーのコートだった。私が「赤の方が可愛いよ」と言うと、母は「やっぱり? でも、派手でしょう。イタイおばさんだと思われちゃう」と自分に言い聞かせるように言った。

一体、赤いコートを着た40代女性をイタイおばさんだと思うのは誰なのだろうか。そう思っているのは他の誰でもなく、若さ史上主義の価値観にハマってしまった自分自身なのではないか。歳を重ねて似合うものが変わっていくことはごく自然なことだが、年齢を理由に好きなものを手放すのはもったいない。森高千里はオバさんになったけど、ミニスカートがよく似合っている。

若さ至上主義にハマっていた10代

とはいえ、10代までは私もこの国に根付いた若さ史上主義の価値観にまんまとハマっていた。そこから脱するきっかけとなったのは、自分が若さ史上主義の恩恵を人一倍受けたことだった。

コラムニストとして活動を始めた高校生の私を、編集者の大人たちは「女子高生なのにしっかりしてて偉いわね」「若いのに鋭い文章を書くね! すごい!」と言って褒めてくれた。

それを手放しで喜べたら可愛かったが、私は若さゆえに評価されている気がして、段々と若者であるということに対しても卑屈になってしまった。 本当に可愛くない高校生だったと思うが、今となってはあのとき卑屈になっておいて良かったと思う。褒め言葉に手放しで喜んで胡座をかいた子たちは今、誰一人として文章を書きつづけることも、この界隈で名前を聞くことも無くなってしまったから。