前代未聞!おとぎ話の主人公たちが超豪華共演
「めでたし、めでたし」で簡単に片付けられない。これが“おとき話”の真実なのか。 たとえば、「映画俳優の超豪華共演!」という使い古されたキャッチコピーを聞いても、知らない人は知らない。でも、この映画は世界中の誰もが知っているおとぎ話の主人公たちの超豪華共演。
赤ずきん、ラプンツェル、ジャック、シンデレラというディズニー映画で親しまれたキャラクターが一堂に会するのは、俳優にたとえると誰が該当するのか。思い浮かばない。赤ずきんとジャックが一緒にいる絵が映されるだけで、自然に胸の鼓動が高まります。
ハッピーエンドのその後、主人公たちはどうなったのか?きっと多くの人が想像を膨らませた題材を、ファンタジーなのに若干シニカルさを交えて描いている。 全ての人が幸せになるとは限らない。都合の良い“おとぎ話”から一歩踏み出した、現実に限りなく近いフィクションを叩き出す。
パン屋の夫婦は子どもを手に入れるために嘘を並べ、ジャックは貧乏から逃れるために魔法の豆で金貨を盗む。それぞれの“罪”が物語をよりハッピーエンドから遠ざけていき、そこに残るのはシビアな現実世界の写し絵だったりするのです。
誰かの“願い”が叶えば、他の誰かの“願い”は叶わない
「幸せとは何か?」
この映画の大きなテーマについて、ロブ・マーシャル監督が語っている。
監督が映画化に踏み込んだキッカケは、9.11でオバマ大統領が遺族に放った「誰もひとりではない」という言葉からだという。そのフレーズは本作の舞台で歌われる印象的な歌詞と同じものだった。
森の中で誰かの“願い”が叶えば、誰かの“願い”は犠牲になる。それは現実に起きている事とそう遠くない。森は自然溢れる美しい場所であるが、夜になると闇に包まれて恐ろしくもなる。
「めでたし、めでたし」のその先を描く物語の後半、ある“天災”が降りかかった時におとぎ話の主人公たちがどう動くか。どのように争い、対処するのか。それは9.11や、思いもよらぬ大事件に遭遇した人々の姿なのかもしれません。
“本当は怖いおとぎ話”を知ってしまったようで、ゾッとする。ファンタジーという外面を借りた現代劇に思えてくる。
人々がなぜおとぎ話を作り、それを愛するのか。行き場のない人々の拠り所としてこの森が存在するように、私たちはおとぎ話に救いを求めているのでしょうか。