いつからが今の私?

最近色んなところで「わたしは昔からこう考えていました」的な文章を読むことが多い。5年10年前から一貫した考え方を持てている人がいるんだとしたら、それって超すごいなって尊敬するけれど、なんとなく違和感があるのだ。もちろん「昔からずっと万引きに反対です」とかは、だよねーわたしもーって思うけれど、ここで言っているのはそういうことじゃない。もっともっと個人的なことで、善悪とは少し距離のある精神性のことだ。

ほとんどの人は「自分を大切にしたい」と考える。でもやり方は様々で人によって違う。私は「人によって違う」でもまだ足りないと思うのだ。一人の人間であっても、時期によってどんな人間かには違いがある。それは当たり前のことなはずなのに、あんまり許されていない感じがして苦しいのだ。

「しなきゃよかったー!」って夜が、私にはある。それは、傷ついたとかってことじゃなくって、もっとシンプルに「ミスったな」みたいな感覚に近くて全然深刻なものじゃない。今の私がその夜を思い出すと、それはもう恥ずかしくてしんどい。なんでセックスしたんだよ馬鹿! って自分を叱る。でも、あの時の私はどうだっただろう。たぶん、あの時なりに考えて行動していたはずなのだ。「この人としたら楽しいかもな」って思ったからホテルに行った。結果、そんなに楽しくなかったから恥ずかしい思い出になっちゃったけど、でも、だからってあの時の私を今の私が裁きすぎるのも違うんじゃないかと思うのだ。いや、裁いていればまだマシか。もっと怖いのは完全になかったことにすることだ。今の自分とは相容れない行動を過去に自分がとったとしても、それをなかったことにするのは違う。そりゃ、昔からずっと一貫した考え方をして、それに基づいた行動を取り続けてたら超清廉潔白で強いけど、自分に嘘をついてまでその強さいる? それにやっぱり、今の自分の考え方を子どもの頃から持っていましたってのは無理があるんじゃないかと思うのだ。

それは自分がそう思いたいだけじゃない? 私だって、できたらそう思いたい。昔から今の私の考え方を全て持っていて、ミスなんてしていないことにしたい。でも、それは嘘だ。今の自分が存在し始めたのなんてせいぜいここ2、3年だろう。私は色々ミスりながらここまできた。くだらないセックスをして何やってんだろって呆然としたり、思ってもないことを言って媚びたりしながら今に辿り着いたのだ。その結果、そんな自分は嫌だと思う私が生まれて、そいつが今の私を産んだ。無数の恥ずかしい思い出のどれか一つでもかけていたら、今の大好きな自分は生まれていなかったかもしれなくて、それなら、どれだけ恥ずかしい過去だとしても、きちんと起きたこととして受け止め続けなきゃいけない。

清廉潔白にサヨナラを

恥ずかしいと思えなくなったら終わりだ。自分の過去に嘘をつき始めたことになる。それは私の望む自分ではないから、私は何度でも恥ずかしい思い出を、する必要なかったセックスを思い出す。その度に羞恥や情けなさで死にそうになるけど、これがきっと大切なのだ。

誰が言ったのか知らないけれど、全員聞いたことある言葉に「失敗は成功の元」とか「失敗から学ぶ」とかってあるけど、あれってマジ真理。もし私が、今まで一度も虚無セックスをせずに生きてきていたら失敗経験がないから、これから先の未来、35歳とかで初めての虚無セックスを経験することになるかもしれないのだ。既婚で。不倫でそれはマジ勘弁。若い頃の私が「あ〜なんであいつとセックスしたんだろ〜意味わかんね〜ミスった〜」って失敗をしてくれたから、私は安心して生きていける。超感謝だよ若い私。あんたが意味ないセックスした意味超あったよ。

26歳の私が好きになれない、望まない人生を20歳や21歳などの私が送ってくれたおかげで今がある。だから、私たちは清廉潔白である必要なんてない。自分の過去を書き換えて、失敗してないことにするのはもうやめよう。失敗しないのは大門未知子だけだよ。

TEXT/長井短

前後の連載記事