「良い」生活への途方も無い憧れ

そこにいる誰もが、私よりも良い人生を送っている気がした。
今ここに休日があったなら、私は前日の夜から深酒キメまくって、夕方起きて迎え酒してテレビゲームするだけだ。

でもきっとあの人たちは、いつもより少しだけ身支度に時間をかけて、美術館に出かけるだろう。気になっていた喫茶店に行くかもしれない。どこかは知らないけれど、少なくとも私よりも「良い」場所に出かけるのだ。私よりも「良い」服を着て。そして良い休日を過ごし、良い眠りにつく。次の日、休日の土産話を持って仕事に出かける。最高の人生だ。お前ら! 最高だぜ! うぉ〜!!

クラッシュに質問したらなんと答えるだろう。「どうしたらお洒落な人生を歩めますか?」あの150歳の亀はどんな答えをくれるんだろう。「海藻を首に巻いてみたらどうだ?」とでもいうんだろうか。

ほんならちょっと、巻いてみましょかっと思うけれどやめる。私は首に海藻を巻きたくない。ならば巻く必要もない。それだけのことだ。

好きを信じたい

私は5万円の白いコートを買わない。白はすぐ汚しちゃいそうだし、いくらなんでも5万円はまだ早いかなって思うから。
代わりに私は1,000円の赤いコートを買う。クリスマスみたいで可愛いし、1,000円なら使っても良いかなって思うから。

私はカラーコンタクトをしない。自分の黒目が小さいことは少し気になるけど、かと言って黒目が大きいことは私の琴線に触れないから。

私は口紅を引く。赤でも紫でも茶色でも、自分の口に色がついているのはなんとなくワクワクするから。

お洒落なのはどう考えても白いコートだ。モテるのはカラーコンタクトで、茶色の口紅を引いた日はいつだって人に驚かれる。でも、だとしても私は赤いコートがいいし、何回驚かれても茶色の口紅を引く。

好きだから。好きの方が必要だ。好きなものに囲まれた生活は、傍目に良い生活と言えなくたって、豊かだ。

ダサい私を愛すること

お洒落に翻弄されて、必要のないものに生活を乗っ取られたらバカみたいだってことを、私はすぐに忘れそうになる。形だけではダメなのだ。形だけのお洒落ほど虚しい気持ちになるものはないんだから。

お洒落雑誌のお洒落部屋特集に絶対に参加できない自分の家を見渡して、私はとても安心する。散らかった部屋の中には私に必要なものがぎゅうぎゅうに詰まっていて、この部屋が好きだなと思う。

この部屋を作ったダサい私自身のことも、このコラムを書き出した時より、好きだなと思う。

TEXT/長井短

次回は <「えっ?!知らないの?!」理解を断絶するリアクションもうやめない?>です。
自分より上の世代に言われる「えっ!? そんなことも知らないの!?」。自分たちの常識を知らないことを、勉強不足みたいに言わないで。過去の記憶でマウントを取るよりも、年齢を超えて仲良くなる方法を探そうよ。 世代間マウンティングに関する長井短さんのコラムです。