男と女の愛のものさし

このふたつの出来事で、「女はプレゼントの値段、男はセックスの受入れで愛情を計る」をわたしはしばらく持論としていた。今は「まぁ、そういう人もいる」という程度で、すべての男女に当てはまるような話でもないと理解しているけれど、一時は本気でそう信じていた。

わたしはセックスにそこまで興味がないので、性欲旺盛な恋人がいた時は大変だった。気が乗らないことも多かったけれど、「男はセックスの受入れで愛情を計る」を信じていたから、拒否することはできなかった。それが当時のわたしなりの、恋人への誠意だったのだ。

この連載を読んでくれている方はお気づきだろうが、わたしは「普通はこうだからこうしなきゃ」という意識がおそらく人より強かった。普通に結婚したかったし、普通の女の子になりたかったし、普通に良い彼女になりたかった。だから、彼の性欲にも必死で応えていた。

思えば、「普通に良い彼女」の合格点を出すために、プレゼントを選んだり、優しい言葉をかけていた。それは相手を思っての行動のようで、そういうタスクをこなせる自分に安心感を抱きたかったのだ。たまに聞く、「プレゼントは自作の詩です」なんて自己満足のプレゼント(いや、受け取る側もそれが欲しいのなら何も文句はないのだけれど)と方向性は同じだと思う。

セックスはともかく、プレゼントの値段は事前にすり合わせればいい。色々遠回りをしたけれど、今やっと「彼が喜んでくれたら嬉しいな」なんてことを考えられるようになった気がする。「男」ではなく「彼個人」が、だ。
向き合わなければいけないのは、いつだって「男」でも「女」でもなく目の前の個人だ。

(この原稿を書いている時点で)明日はクリスマス。平日とはいえ、多くのカップルが楽しい時間を過ごすのだろう。ちなみにわたしは12時間労働の予定である。

Text/白井瑶

初出:2018.01.04

次回は<誰でも恋人のSNSにアクセスできる時代。不都合な写真は削除すべきか?>です。
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