恋人の儀式
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プレゼントの値段は愛の値段か
2017年に解散したSMAPの曲に、こんな歌詞がある。
「男は女の子のこと知らなすぎるよ 教えてあげましょう 愛さえあればいいと言いながら プレゼントの値段だけで気持ち計ってる」(KANSHAして– 1995年)。
この歌詞を見てどう思うだろう。そんなことないと断言できる人もいるだろうが、わたしはそうは言い切れない。贈り物の値段で愛を計るなんて、いかにも計算高くて金目当ての女みたいだ。でも、目に見えない「愛」なんてものを他に何で計ればいいのだろう。言葉? 会う頻度? それとも連絡のマメさだろうか?
ある年のクリスマスに、わたしが用意したプレゼントと、彼が用意したプレゼントの値段が数倍以上も違ったことがある。彼は、誕生日はきちんと祝うが、クリスマスはケーキを食べて、軽いプレゼントを交換すればいいと思っているタイプだった。
もちろん彼は悪くない。けれど、当時のわたしは本当に悲しくなってしまったのだ。今思えば、自分の中にしかない基準で彼を試して、事前の告知もなしにジャッジしたのだから、ほんとうに自己中心的である。
一方で、男友だちからこんな愚痴を聞いたことがある。色々取り払って書けば、「彼女がセックスさせてくれない」という話だ。
月に1度くらいは誘いに応じてくれるものの、他の日は生理でもないのに拒否されるらしい。ハグやキスはしていて、「あなたが好き」とも言われるのだが、セックスはやんわり断られると。わたしは、単に彼女がセックスを好きじゃないだけで、彼のことは好きなのだろうなと思った。だが彼は、彼女の愛情に疑問を抱いて、数ヶ月後に別れてしまった。
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