無邪気マウンティングでふくらむ邪悪な感情

マウンティングって実際に動物としての逃れられない習性なのかもしれないとも思う。……そうであるとすれば、いっそこの際、健康的に殴り合うというのはどうだろう。

無邪気マウンティングでふくらむ邪悪な感情

家入明子 

 前回 は、東京に現存する華々しい社交界で生まれ育ったキラキラ女子、光の国の女子について書いた。宝石のように眩い輝きを放つ彼女たちを前にすると、「そりゃ私は光の国に住んじゃいないけれど、そこそこおだやかなひだまりの国で生きてる」っていう現状認識が途端にぐらつき始める。実はすっかり目が慣れてしまっていただけで、私、もしや暗黒世界の住人だったのではとすら思わされるのである。
ただごく自然に美しく、ごく自然に能力が高く、ごく自然に裕福で、ごく自然に裕福なパートナーと出会う。世の中に自分を排斥するものなど存在しないと言わんばかりに屈託なく他者に微笑みかけることができる彼女たちには、よもや他者を攻撃しようとか、服従させようとかいう意図があるようには思えない。
ところが、こちらは、そんな余裕のあるお姿を前にすればするほど、圧倒的敗者であることを思い知らされるのである。

 「マウンティング」と聞けば、多くの女性は「あるある」と一も二もなく思う。けれど実際のところ、私のほうがあなたよりこんなに美人よ、みたいな、分かりやすいマウントの取り方、取られ方することって滅多にない。なぜなら、分かりやすく誇示するやり方は稚拙で弱いって知っているからだ。じゃあなんでマウンティングを「あるある」って思うかと言うと、女性は大なり小なり、同性の誰かに嫉妬したことがあるからだ。嫉妬したのか、嫉妬「させ」られたのか、境界線は極めて曖昧。でも、嫉妬する側にまわるより、嫉妬させる側が強いってことは本能でわかってる。マウンティングは、どちらかが相手に嫉妬した(させた)時点で、勝敗が決まるのだ。

「無邪気が勝ち」という価値観

 光の国を夢見て泥臭く成り上がったセレブは、成り上がった先でどんなに涼しい顔を見せたところで、彼女の望むものを生まれながらに持っている光の国の女子には敵わない。相対的には他者の持ち物を「羨んだ側」だからである。
血のにじむ様なダイエットを続ける女優が、表向きには「美容法は、好きなものを好きなだけ食べること」って言うのや、何百万とお金をかけて美容整形した美人がそれをカミングアウトしないのも、努力して手に入れた美しさより、努力しなくても手に入った美しさの方が、同性にとってより羨ましいものだからである。つまり、女性という群れのトップに君臨するボスは、自分自身は誰を羨むこともせず、且つそんな姿勢でその他大勢を嫉妬させる存在、誰よりも「無邪気」でいられる存在でなければならないのだ。

 邪気がなければないほどよい、「無邪気が勝ち」という価値観は、考えてみれば世の中の至るところにはびこっている。一時期、女性たちがこぞって天然ボケキャラに憧れたのだって、天然ちゃんが「無邪気」そのものにほかならないからだ。見事天然という称号を得た女性が、そうでない女性にとってこの上なく鼻につくのだって、「無邪気」を独占されることによりマウンティングで劣勢に立たされるからである。
ただ、さすがに安易なアプローチであり、これが一般化した先には誰も生き延びられない不毛地帯が広がっているという事実に女性たちが薄々気づいた結果、天然キャラブームは下火となったように思われる。とはいえ、「男はどうせ若い女が好きよね」も「アイドルはウンコしない」なんかも無邪気至上主義によるもので、私たちは男性も女性も、とにかく無邪気な人が大好きなのだ。