繋がってしまった世界の悲劇

 コミュニティと接点を持ってみたものの、その中に溶け込むことができず、イスラム教であることをからかわれたり、またルックスもそのナイトクラブの本流とは違うタイプだったとも情報が流れています。

 ゲイ(オネエ)はマイノリティで辛い思いをしてきているから、みんな仲良しでフレンドリーというのは幻想です。
ゲイは男性の良い面と女性の良い面を併せ持つ傾向がありますが、同時に男性の嫌な面と女性の嫌な面を併せ持つ生き物です。

 ゲイはリアルで仲間とつるむときに、男性ならではの経済力でグループ分けしていますし、女性ならではの美醜でもグループ分けします。
またはっきりと性嗜好でコミュニティを分離させます。
“○○専”という外見の嗜好によるカテゴライズも、ゲイが30年くらい前から使っていたものです。

 年齢によってもコミュニティは分断されていますし、東京では遊ぶ街も変わります。
プライベートで遊ぶわけですから、気を遣ったり、苦手だなと思う人わざわざつるまないですよね。

 フロリダの地方都市のナイトクラブというのは、そういった線引きが曖昧であったことが予想されます。
日本でも地方都市のゲイバーというのは、老若男男入り混じって、細分化されない傾向があります。
ゲイの母数が少ないと、いろいろな嗜好の人が交じり合うコミュニティができるのです。さらにナイトクラブではそこにお酒が入って、やり取りが増幅されます。怨恨も生まれるかもしれません。

 ただでさえ、父親から宗教を強要され、結婚をさせられ、それでもやっぱり同性との出会いを求めてアプリなどを介して、やっと20代後半にたどり着いたコミュニティで、宗教や外見を揶揄され、排除された。

 私も同じ境遇だったら、脳内で何人か殺しているかもしれません。
確実に丑の刻参りくらいはしているでしょう。
でも、それを実行するかしないかは大きな違いです。だから実行したその犯人には同情の余地はありません。
社会にはやっていいことと、いけないことがあるのです。

命の意味を考える

 この事件を通じて、私は、自分の力を発揮できる居場所を探すことは、何にも優先して行わなければならないことだと思いました。
いけ好かない奴は、いつの世にも、何処にでも居ますから、そんな奴を恨む時間よりも自分が楽しめて、力を発揮できるコミュニティや仲間を探した方が良いのです。

 親と意見が合わないなら、そこを逃げ出して良いと思います。
大都会に出て、気の合う仲間を探せば良い。
すぐにできないならば、まずはお金を貯めてから出てくれば良い。 周りの人に親不孝だ、自分勝手だと非難されても、自分が楽しんだり、力を発揮できずに生きることの方が、せっかくいただいた命への冒涜だと私は考えます。
多くの方の犠牲と犯人の背景から私が考えたことです。

Text/肉乃小路ニクヨ