ブーメランストリート
Johnny Silvercloud
昨今、何かあると不謹慎だ、不道徳だ、非常識だと簡単に他人を糾弾する方が増えていますね。
もともと日本社会は不謹慎、不道徳、非常識ということに敏感で、SNSの発達によってネット上で顕在化しただけ、ということかもしれません。
でもね、私はそういうしたり顔で他人の批判をしている文章に触れるたび、ああ、この人、自分がブーメラン投げてるのに気がついてるのかなという心配をしてしまいます。
たとえ匿名で書いていたとしても、自分が発した言葉は自分の記憶から消すことはできず、いつか心が変わり、状況が変わった時にあなたに鋭く戻って来て、あなたの心に傷を負わせるのです。
お天道様が見ているのではなく、自分で自分を監視しているのです。
不謹慎な私たち
そもそも、生きるということは、見方を変えれば、不謹慎なことの連続です。
現代社会では合法的に他人に殺生を依頼して、誰かが殺した食材を平気な顔をして毎日食べていますし、慎みや考慮の欠如という考え方をすると、大体の楽しみ、喜びが不謹慎ということになってしまうのです。
腹切、自害…日本には価値観や道徳、常識に従って自分を殺す文化がありました。
他人に対して糾弾した価値観が自らの変質に当てはまらなくなり、自分で矛盾を収容しきれなくなって、死を選ぶという人が少なからずいました。
そもそも矛盾を許せるかどうかという問題もありますが、もしそういう矛盾に縛られるのが嫌なら、安易に批判するなって、私は思います。
私も若い頃は自分の常識に従い、人を安易に批判したり、意見をしたことがありますが、その自分が押しつけようとした常識が自分を縛り、新しい発想を止めたり、自分の変化を受け入れるのを邪魔したりしたことがありました。
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