母親との関係が女同士の距離感の掴みかたに影響する
―女同士の親子関係について、もう少し伺えますか?
家入:柚木麻子さんの書かれた「ナイルパーチの女子会」という小説があるんです。同性の友達が作れない女性二人が主人公なんですけど、ひとりはやや問題がある家庭環境で育った過去を持つ人気主婦ブロガーで、もうひとりは非の打ち所のない家庭環境で育った独身女性。独身女性は両親がいい距離感を持って育ててくれているのに、女友達との間では距離感がつかめなくって「私はこんなにあなたのことを考えてあげているんだから、こうしなさいよ」みたいに、友情が凶器になってしまうんです。主婦ブロガーの方は基本受け身なんですが、良好な距離感がわからないからすぐに見切りをつけず、じわじわ振り回されるんです。
二人の、一見正反対な家庭環境で共通しているのが、母親が子どもを“ちゃん”付けで呼ぶところなんですよ。作者は意図して書いているのかはわからないんですけど。
川崎:わ~!なんか少しわかるかな。
家入:それというのも、私の家も「あっこちゃんはね」って、ずっと“ちゃん”付けで呼ばれていたんですよ。私も長年、女同士の関係性で距離の掴みかたが難しいなってなんとなく思っていて。だから、親が“ちゃん”付けして我が子の個を尊重することで、その子のプライベートゾーンが広くなりすぎて、他人との距離感が掴みにくくなるのかな?と思ったんです。
川崎さんは先ほど娘さんを「同性として客観視している」っておっしゃっていましたけど、それと近いのかなって。同性との友人関係をうまくこなせる人は、相手のすごく近い距離までいける人。私はそこが測りかねてしばらく難しいと感じていたので、女の子の親なら、子どものプライベートゾーンに踏み込むのも悪いことではないのかもって最近は思っています。この本(『愛は技術』)には、毒親についても書いてありますよね。
川崎:なるほどね~。毒親、書きました、書きました。うちの母親は、完璧に人との距離感が掴めない人でしたから。
家入:そうなんですか。ちなみに川崎さんは何て呼ばれていましたか?
川崎:「お姉ちゃん」って呼ばれていました。
家入:「お姉ちゃん」か。尊重されていたんですよね、きっと。
川崎:すごく尊重されていましたね。だけど、その「お姉ちゃん」のためを思って宗教めぐりにつき合わせるんですよ。
家入:それね、びっくりしました。お母さんの大きな心の穴が…ね。
川崎:ね。でも母がズルいのは、「お姉ちゃんが帰ってきてよかった~」とか、「お姉ちゃんに怒られるかと思った~」とか、少女っぽいんですよ。だから、心のどこかで私が男性的に、もしくは親のように「この人を守らなきゃ」と思っていました。宗教めぐりも言いなりになっていたのではなく、「この人を守らなきゃいけないから、その教祖を一緒に見にいかなきゃ」みたいな勢いでついて行ってたんです。“守らなきゃいけない人”であって、“親”とは思っていなかったかも。
ただ、祖父母や父親も一緒に住んでいたから動線はたくさんあったし、妹と「うちのお母さんは異常だよね」と話せたりすることで女性同士の距離感をつかむことに関しても大丈夫だったのかと。
家入:昔から大黒柱として育っていたんですね。その反動で甘えさせてくれる悪い男に引っかかったりすることはあったんですか?
川崎:あまりないですね。若い頃の話ですけど、競っちゃっていたんですよ、男性と。だから、「強がらないで」とか言われると「なにを~!」って、意味不明はファイティングポーズを取っていたので、「甘えさせてくれる男」も「悪い男」も縁がなかったんですよね。その代わり、良い人と甘えん坊ばっかりでした(笑)。