卑劣な手段では楽しいセックスにならないのに…オジサン目線で気づくこと

大泉りかコラム

いま、仕事で官能小説の短編を書いています。締め切りは二日後。発注を受けて以来、「ああ、書き進めなくては……」と、どこか落ち着かない気持ちで、日々を過ごして来ましたが、ようやくのこと二日後には自由になると思うと、待ち遠しくてたまりません。もっとも原稿を提出したところで、また次の仕事の締め切りが待っているのですが。

物書きという仕事は、常に締め切りを抱えている状態が正常です。締め切りがないということは、仕事がないということなので、早々に食いっぱぐれるヤバい状態。なので、締め切りがあるということは、非常にありがたいことですが、同時に寝ても醒めても、プレッシャーを抱え続けているしんどい状況でもあり、このアンビバレンツを解消する手立てはない。

もちろん、その日の分のノルマを終えたら、後は一切、原稿のことを考えずに過ごすというライフスタイルの作家さんもいらっしゃるとは思うのですが、わたしの場合はその切り離しが苦手で、ゆえに四六時中、気の休まらない気持ちで過ごすのは、この職業を選んだ上での宿命だと思って半ば諦めています。

「俺も書いてみようかな」と言う男たち

そういえば、かつて付き合っていた男性(現場作業員)に「俺の仕事は、金をもらうために、ただ自分の時間を切り売ってるだけのくだらねぇ仕事だけど、ひとついいのは、家に帰ったら、一切、仕事から切り離されることだ」と言われたことがあり、「おお、それはなんと羨ましい!」とそのときは素直に思ってたのの、その彼は、「俺もいつかは小説とか、書きたいと思ってる」と言っていたことがあるので、いま思えば、常に締め切りを気にしてどこか落ち着かない様子をしているわたしへの、遠まわしの嫌味だったようにも思えます。

ちょっと話が脱線しますが、“物書きの女あるある”のひとつに、付き合った男性に「俺もなにか書きたいと思ってる」「俺も書いてみようかな」と言われるということがあります。若い頃はアドバイスを求められているのかと思って、「いいじゃん! なにが書きたいの?」と話を展開させようとしていましたが、なぜだかあまり乗ってきてくれない。
そのうちに、「ああ、これは『お前の仕事なんて、その気になれば俺だってできるからな』」っていうことが言いたいのではないかと気が付いて、いつからか「書いたら読ませてね~!」で済ませるようにしています。誰ひとりとして読ませてくれた人はいませんが。