初めてセックスをしたのは、高校一年生の夏の終わりのことでした。相手は『としまえん』という近所の遊園地でナンパをしてきた、都心の男子校に通う同じ年の男のコで、付き合って二週間くらい経った頃に、彼の家でセックスをし、しかし、好きだったはずが、実際にやってみたら、別にそれほど好きではなかったことに気が付いて、そして向こうも、たいして私のことが好きではなかったらしく、二度会うこともなく、電話でサヨナラをしました。
初めての相手にヤリ逃げされたというのに、悲しんだり怒ったりした記憶はありません。むしろ「やったー!これで自由になれた!」という歓びばかりでした。一回だけで終わったといえども、母親の「初めては好きな人に」という教えに従ったのですから、一応、筋は通したことになります。
そして、「もう処女じゃなくなったのだから、これから先、どんな相手とセックスをしようと、もうわたしの勝手だ!」と ものすごく都合のいい解釈を成り立たせ、わたしは性の冒険の旅路へと踏み出したのです。
というと、ちょっと大げさですね。普通に合コンや紹介や遊びに行った男子校の文化祭で出会った人と、恋愛をしたり、恋愛込みでセックスをしたり、恋愛なしでセックスをしたりしていました。そんなにモテるタイプではなかったけれど、ものすごくモテないタイプでもなかったので、相手に困ることはそうありませんでした。
しかし、わたしが住んでいた街は“東京”でした。90年初頭から半ば。東京では、女子高生ブームの一大ムーブメントが起きていました。
わたしの記憶によると、都内の名門私立高校の裕福な家庭の子供たちが、ラルフローレンのベストやワンポイントソックスを身に着けて学校に通い、私服となるとその財力でもって、シャネルのサングラスやプラダのバッグを身に着けてクラブで行われるパーティーなどに集い、メディアでは“カリスマ高校生”として持ち上げられて、誌面を賑やかしていました。バブルは弾けたというものの、いま思うと、まだ景気がクソ良かったですね。
当時、わたしは、二十三区の片隅にある都立高校に通っていたのですが、雑誌の誌面で、そういう華やかな同世代の存在を知り、当然のこと憧れました。
しかしこちらは庶民の子。そんな金はあるわけない。しかも、学校は私服なのです。“女子高生”という記号を身に纏うことさえ出来ない……というわけで、勝手にチェックのミニ丈のプリーツスカートに、知り合いの男子校の生徒から貰ったニット、同じく貰った学校指定のスポーツバッグにルーズソックスで、学校へと通うようになります。
制服を身に着けてひとつわかったことがあります。そういう格好で池袋や新宿などの繁華街を歩いていると、かなりの確率して声を掛けられるということです。「パンツとか売らないの?」「カラオケ行ったらお小遣いあげるけど」「3万でどう?」声を掛けてくる内容は様々でしたが、決まって皆、中年の男たち。
また、歩いていて、話しかけてくるのは、そういった一般の男性ばかりではありません。自宅にいながら、男性と電話で話して時給1200円を稼ぐことが出来る『ツーショットダイヤルのサクラ』や、指名を受けた男性と外でデートして五千円の交通費が貰える『デートクラブ』、履き古したパンツを買ってくれる『ブルセラショップ』など、報酬が魅力的なアルバイトの話を持ち掛けてくる大人も多くいました。そう、当時、都市の一部では“女子高生の制服”は、“娼婦のコスチューム”だとみなされていたのです。
性的好奇心と、少しいけないオトナの社会への興味、そこに足を踏み入れることに対する少なくない対価――わたしはあっという間にどっぷりとハマリ、堕ちていったのでした。
…次回は《「顔が見えないからこそ官能的」―電話で感じる男の性癖と興奮と》をお届けします。
Text/大泉りか
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