人を好きになることの代償
Kamal Zharif
ありがとう文春!
今週発売された週刊文春に、ベッキーと川谷の“禁断愛”の続報が掲載されていましたが、ベッキー、いいんですかね。最初のスクープ記事が出た時は、世間にはまだ、ベッキーに同情を寄せる声もなかったわけではありませんでしたが、さすがに新しく流出したLINEの画面は、ベッキーの人柄を疑わざるを得ず、好感度は地に堕ちたといってもいい。
ベッキーが川谷との“純愛”で失ったものは多く、そして大きい……と他人事のようにここまで書いていますが、実際、不倫でなくとも、男性を好きになったり、付き合ったりしたことで、代償に何かを失うことって、ありますよね。
特に嫉妬深い男性と付き合うと、自由を奪われがちです。もちろん、物理的に無理矢理に監禁をされる、なんてことではないわけで(あったらそれは犯罪です)、そのほとんどは自分の選択で失うことを選んだわけですから、「自己責任である」という人もいるかもしれません。
けれども、恋というものは正気を失っている状態のわけでして、また、「女は男の色に染まってナンボ」「女は男に合わせるもの」なんていう古めかしい呪縛もまだ色濃く残っている。
しかも、世の中には無意識に「自分の都合のいいように相手を誘導すること」に非常に長けている人もいます。
タチの悪いことには、そういう性質を持っている人は、それを「自分の決断だと思わせる」こともまた上手いのが厄介。
例え、後から「なんでわたし、こんな我慢ばっかり……」と思っても「君が選んだことでしょ」と言われば頷かざるを得ないですし、後々「相手に洗脳されていた」と認めるのも、その相手を好きだった自分を否定するようでなかなか難しい。