自分の中にいるモモレンジャーを自覚しよう

湯山: 『すべてはモテるためである』の中に、男の中にも女性性があることに気が付こうっていう話が出てくるじゃない。人は心の中にゴレンジャーがいて、アカレンジャーもいればアオレンジャーもいる。
そして、男の中にもモモレンジャーは同居しているんだと。

二村: イラストを描いてくれた青木光恵さんが、「色気があってモテる男というのは、自分の中のモモレンジャーに自覚的な男なんじゃないか」と女性の視点から言ってくれて、なるほどと思ったんです。
自分の中の女性性を使って女の人と関係を持つと、すごく話がしやすいし、コミュニケーションしやすいから、男は自分の中の女性性を認めるべきだっていうことですね。

湯山: まさに、前回話したおぎやはぎの矢作さん。だから女にとっても、「女らしさ」っていうのは何人かいるゴレンジャーの中のモモレンジャーにすぎないわけですよ。「女」を手口として使えって言ったのはそういうこと。

二村: 自分の中にも娼婦のキャラがいることを、遊びとして楽しめばいいんですね。

湯山: しかし、何というか真面目なのか、その「娼婦」を自分そのものにしちゃう。
自分のセックスをおおっぴらに語る女はこのタイプが多い。しかし、非常に不安定。安定的なのは壇蜜だけど、もうこの人の場合は手口として意識して「女装」した上でのキャラ。だから、女性にも人気が有るんですよ。

二村: 男も、自分の自我がオチンチンだけだと思っていると、女の人を無意識に抑圧してしまう。
でも、男にも女にも、男性性と女性性の両方がそなわっているんだということがわかっていれば、もうちょっと付き合いやすくなると思うんですよね。

湯山: 女の人が「女らしさ」にとらわれて、「女であらねば」という外からの抑圧を内面化して苦しんでいるように、男性だって「男らしさ」にとらわれていると「男なんだから女を支配しなきゃ」「いばらなきゃ」というプレッシャーに苦しむことになる。さっき話した「勃起できなくなる恐怖」に怯える羽目になるわけですよ。

二村: 僕は「男であらねば」ということと「女であらねば」ということは、実は同じことなんじゃないかと思っていて。
「女らしさ」って要するに、自分の力を人を喜ばせるために使って、そのことに対して見返りを求めない…みたいなことじゃないですか。それって、「男らしさ」と限りなくイコールなんじゃないかって気付いたんですよ。

湯山: 男にもへこんだ部分はあるし、女にも出っ張った部分はある。
お互いのへこんだ部分で、出っ張った部分を受け止めて、他者や愛する人を癒してあげたい、と思うのは男女共通なんですが、その前に「らしさ」の規範から外れた異性に、反射的に苛立ってしまう性質があるんですよ。
そういう自分を把握しておくのはもはや、マナーだと思う。

二村: そういったことを、「男らしさ」「女らしさ」という今ある言葉ではない、自分自身の言葉で考え直すことができたら、男と女はもっとわかりあえて、もっと楽になるんじゃないかと思いますね。

Text/福田フクスケ

■湯山玲子&二村ヒトシ対談をまとめて見る

『快楽上等! 3.11以降を生きる』

湯山玲子
著述家。出版、広告の分野でクリエイティブ・ディレクター、プランナー、プロデューサーとして活動。著作に『ベルばら手帳 マンガの金字塔をオトナ読み!』(マガジンハウス)、『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『クラブカルチャー!』(毎日新聞出版局)、『女装する女』(新潮新書)、『四十路越え!』(ワニブックス)など。月一回のペースで、クラシック音楽をクラブ仕様で爆音で聴く「爆クラ」を主宰。
(画像右:『快楽上等! 3.11以降を生きる』/著者:上野千鶴子、湯山玲子/発行:幻冬舎/価格:1,575円)

『恋とセックスで幸せになる秘密』
『すべてはモテるためである』

二村ヒトシ
アダルトビデオ監督。MotheRs・美少年出版社・欲望解放・レズれ!という4つのAVレーベルを主宰するほか、ムーディーズ、エスワンなどからも監督作を発売。また、ソフト・オン・デマンド制作部門であるSODクリエイト社の顧問(若手監督への「エロとは何か」指導を担当)にも就任。
公式サイト:nimurahitoshi.net
twitter:@nimurahitoshi@love_sex_bot
(画像右:『すべてはモテるためである』/著者:二村ヒトシ/発行:イースト・プレス/文庫ぎんが堂/価格:700円)(画像左:『恋とセックスで幸せになる秘密』/著者:二村ヒトシ/発行:イースト・プレス/価格:1,260円)