ふたりにとって快適な、ふたりの姿

彼を教育…いや、調教する際に女の子にありがちな態度はヒステリックに指摘する。これはマジでクソだ。
相手からすると「うっせーな、またかよ」で終わりがち。

基本的に、相手の意見を汲まない一方的な主張は(たとえ正論であっても)エゴでしかない。
そして押し付けられた(ように感じてしまう)意見には反発したくなるのは、誰しもが経験しているはずだ。

あまり生物学や深層心理学的な話は持ち出したくないのだけど、生物にはホメオスタシス(恒常性)という機能がある。
外部の刺激に対して、打ち消す内部の働きにより、状態を一定にしようとする機能だ。
寒いところにいけば、体温を上げようとする例が分かりやすい。

同様に、それは心にも存在する。ダイエットに失敗するのも、新年の誓いがくじけるのも、それが理由だ。

自発的に変わろうとしても自分を変えたり、新しい習慣を身に付けることは難しい。
それが他人に言われたくらいですぐに変われるだろうか。変われるはずがない。
あなたの言葉で残るのは不快感のみだ。

さて、じゃあ彼を変えることは不可能なのか?

そんなことはない。ここでダイエットを想像してほしい。
あれだけ太っていた人がダイエットにいそしんで、劇的に変わっていった姿を見たことが誰しもあるんじゃないだろうか。
そんなとき彼女(彼)はどんな風だったか思い出すとヒントになると思う。

俺の言葉で言うと「さも当たり前のように」そして「(苦しいはずの)過程を楽しみを覚えながら」やっていたように見える。

これはすべての自己啓発書の根本になっている、ホメオスタシス(≒ダメな自分)を打ち破る概念としてのコンフォートゾーンの書き換えだ。
つまり何だかんだデブの自分で心地よかったのが、20kgやせた自分こそ「快適な自分、理想の自分」という頭に切り替わる。
そのギャップを埋めようと頑張る。そこに迷いはない。
近づいている自分の姿が何よりも楽しい。
そう、本田圭佑を想像するとだいたい合ってる。
この感覚は何かに打ち込んだことがある人はきっと分かると思う。

ここで話を戻しましょう。
つまり、ソフト調教で必要なのは「彼にとって快適な自分」でも、「あなたにとって快適な彼」でもない。
それは、「ふたりにとって快適なふたりの姿」というビジョンの共有なんです。
それが二人の大前提として共有されているならば、各々が相手に言われなくてもそれに向かって動いていくものだ。

もう一度くり返す。あなたが変えたいと思っていた彼の姿。
それは自分にとって都合のいい相手にしたいエゴじゃなかったか?
ひとりよがりな感情じゃなかったか?
そうでなかったら、将来を通してふたりで歩んでいきたい姿は共有されていたか?
出来ていないとすればなぜ?

これが出来ていれば口やかましく指摘する必要なんかないし、出来ているうえで出来ない男なのであれば、あなたの人生には必要のない人ですよ。
きっと子どもの人生まで背負うことなんて出来やしない。

人間は誰しも自分がいちばんかわいい。けれど、自分をかわいがるのと同じくらい、相手を思うこと。
それによって作られるふたりの関係を愛でられる人間になっていくこと 。

それが幸せな恋愛の絶対条件だ。