嫉妬していない?

人前で良いことを行う人に対して、「偽善だ」と言う子供おばさんに問いたいことがあります。

「逆に、100%善人なんて、いると思っているの?」

人の中には、天使も悪魔も住んでいる。強さも弱さもあるもの。良いことばかりを言う人は、単に「いい人だから言う」わけでもない。
人前で言葉の毒ばかりを吐いて、相手に不愉快な思いをさせたってしょうがない。悪いことを言っても、意味がないから言わないだけのこともあるのです。

実は、「偽善」という言葉を使う人が、どんな思いを持ってその言葉を言っているのかで、その人の本質が見えます。
中には、自分にはできない良い行いをする人に対して、嫉妬している人もいます。良い行いをする人を引きずり落とし、自分と同じレベルにすることで安心する人もいます。

要は、劣等感を持つ人(=自分の弱さに負けてしまっている人)が言っていたりもするのです。

劣等感をなくした時、自分をもっと受け止められるようになり、人に対しても優しい気持ちが持てるようになります。そうしたら、「相手も頑張っているんだな」って、応援したくもなるものです。
相手も自分も不幸にするのではなく、もっと自分も相手も幸せになれる道を歩みませんか?

愛に溢れた人は、「偽善」なんて言葉は使わない

残念ですが、人間は、100%人のために愛を注げるような、そんな“完全なる存在”ではありません。

相手のため“だけ”ではなく、自己重要感を高めたかったり、人に認められたかったり、自分をもっと好きになりたったり、得したかったりと、どこか自分のためにやっていることもあるでしょう。

それでも、良い行いはいいこと。それを子供おばさんのように、「偽善」という言葉で攻撃し、良い行いを否定し、奪ってしまうのは、ある意味、卑劣な行為です。

「偽善」だと言う人は、だったら自分がやってみたらどうでしょうか?

もし、100%の愛だけを持って良い行いが出来たら、 それは100歩譲って、そうではない人を「偽善」と言ってもいい。
でも、そんな愛に溢れた人だったら、「偽善」なんて言葉は使わないでしょうね。
愛情と優しさ、心の強さを増やしていける人でありたいものですね。

子供おばさん……「人からよく見られたい」と良い行いをする人に対し、「偽善」という言葉を浴びせる。
大人女子……どんな理由があるにしろ、「良い行いはいいこと」と判断する。