前回の<今年の失恋は今年のうちに!心痛めた恋が来年実を結ぶために必要なこと>も参考にしてください。
明けましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いします。
今年もまた新たな一年を迎えられたことに感謝ですね!
歳を重ねて、経験を積むほどに、見えること、できることも増えてきます。ただ、そうなることで幸せになる人と不幸になる人がいます。
子供おばさんは、見えること、できることが増える分、不満が増えるので不幸になります。
逆に大人女子は、人望が厚くなるので幸せになります。
どうして、そんな違いが出てきてしまうのでしょうか?
自己基準で評価していない?
子供おばさんはいつでも自己基準です。だから、自分が劣っていると思ったものに対しては、「どうしてそうなのかしら!」と文句が出ます。
例えば、仕事で自分の思い通りに動かない部下に対して、「どうしてできないの?」と腹を立てたり、レストランでは、食通な自分の口のレベルには合わないと「不味い店だ」と評価したり、映画の目が肥えてくると、大御所監督のレベルまではいっていない若手監督の作品に対して、「つまらない作品だ」と評価してしまいます。
でも、それらが常識を外れたことである以外は、単に「自分の基準に満たなかった」だけの場合もあるのです。
自分が色々な経験を積んでいるから、その分見えること、分かることが増えてきているにも関わらず、自己基準でばかり物を見すぎるので、それ以下の人を「劣っている」と判断してしまうのです。
それでは、周りの人たちは文句ばかり言われてしまい、面白くないので、離れていってしまうでしょう。
大人女子は、自分が経験を積んだ分、磨かれた面があることを分かっているので、自己基準だけで相手を評価し、非難することはしません。
さらに、相手のプライドを壊さないことに注意を払いながら、「こういう方法もあるわよ?」と相手にアドバイスすることもあります。その結果、相手から慕われることも多く、人気者になるのです。
どんな状況でも楽しみを見いだせる人ほど、一流
一流のものに触れることや、その道を究めれば究めるほど、より良いものを見る目を持つことができます。
でも、その基準でしかものを見られなくなると、世の中は劣っているものばかりになってしまいます。
例えば、舌が肥えると、外食では美味しいと感じられる店が減るかもしれません。でも、そこにどんな付加価値を見出すかで、楽しみ方は変わります。
自己基準で味はイマイチでも、お店の空間、スタッフの対応で癒されることもあるし、何よりも人に作ってもらう幸せだってあるはずです。
外での食事は、大切な人と素敵な時間を過ごすという意味で楽しんだっていいのです。しかし、自分が究めている部分ばかりに目を向けてしまうと、せっかくの食事が楽しめません。
映画も然り。もし映画の良し悪しを見る目があるとしても、どの作品にもその作品ならではの魅力もあるはずです。それを見つけるという楽しみをしたっていいわけです。
若手監督の成長ぶりを喜んでみたり、主役を支えている脇役たちの働きに注目してもいいのです。
何も良いところを発見できないのは、その作品のせいだけではなく、自分がそういう視点でものを見られないところにも原因があるのかもしれませんよ?
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