自分にそっくりな女性と出会える

20年以上も前のだいぶ古い小説ですが、5年前に松坂桃李さんの主演で映画化されているので、タイトルだけは知っている人も多いでしょう。

タイトルからも連想される通り、娼婦の男性バージョン・男娼のお話です。そういえば昨今、女性用風俗が市民権を得つつありますが、石田衣良氏は20年以上も前にこのブームが予測できていたのでしょうか。そんじょそこらのインチキ予言者よりも、よっぽど凄い予知能力です。

話を戻しましょう。主人公は男娼にスカウトされた大学生の男の子・リョウ。彼の目を通して、様々な女性客たちが男娼を利用するバックボーンがメインの内容なんですけどね。誰が読んでも、「お前は俺か!」と言いたくなるような、そのときの自分にそっくりな登場人物が出てきます。

ミカコちゃん自身は初めて読んだとき、マリコという3Pのために男娼を買う登場人物に対し、「お前は俺か!」と言わずにはいられませんでした。

それからしばらくして手痛い失恋をした際、ふと『娼年』を読み返し、「今の自分はメグミだ!」と感じました。メグミはリョウの同級生です。

メグミの性格をひと言で表すなら、「正しい女性」ってことになるでしょう。メグミのリョウに対する発言や行動は総じて正しいのですが……。正しいからと言って、リョウのキモチがメグミに向けられることはありません。コレ、「相手が〇〇してくれない」ことに悩む女性たちが見つめ直すべき事象だと思うのです。

「相手が〇〇してくれない」は…

「相手が〇〇してくれない」って、言い換えれば「付き合っているのだからマメにLINEすべき」とか「付き合っているのだから毎週末会う時間を作るべき」とか「思わせぶりな態度をとったのだからマッチングアプリは退会すべき」とか、全て正しさを強調するゆえに生じる思考です。

その思考は確かに正しいのでしょう。しかし、その正しさを直球ストレートで投げ込んだところで、男性に響くとは限らないのです。そして、正しさを振りかざすオンナって、哀しいかな可愛くないのです。その哀しい事実を実感すべく、『娼年』を読んで「メグミ」という登場人物を客観視することは、非常に有効であると思っております。

Text/菊池美佳子