果たしてわたしは「薄情」なのか?
でも良くも悪くも、人生、結婚やら出産やら子育てやら夫の転勤やらの状況の変化で、友達に使える時間やお金の量が変わってしまうことは多々ある。そういうことを踏まえて、いま現在はそう親密な付き合いをしていなくとも、状況が変わったり落ち着いたりしたら、再びなんのわだかまりもなく、再会して交友を再開できるというのが友情だと、わたしは思うのです。だから、どれだけ彼の思う、「薄情」の証拠のようなものを積み上げられたとて、「薄情ではない」というわたしの客観は揺らがない。
そんなことを考慮して、最初の件についても考えてみれば、そもそもわたしは居酒屋のテーブルでは、男性に対してあれこれと世話をしたくないタイプであるのに、3on1の飲み会では、最低限の気働きをした。そのブレた行動が、己に対しての客観性を狂わせただけであって、基本的にはしっかり客観性はある……と思いたい……が、そもそもわたしは、なぜにこんなにも客観性を持つことに囚われているのだろうか。
Text/大泉りか
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