いざ、京都観光へ

南禅寺から哲学の道を歩いて大文字山へ行き、そこから銀閣へ。銀閣からはタクシーで三条河原町に向かい、「スタンド」という昼からやっている飲み屋で一杯ビールを飲み、自分にとって「必殺」の小料理屋へ行った。ここはカウンターだけの店で店主とは仲が良かった。

おでんを食べ、グジを「炊いた」ものを食べ、ビールを飲み続けた。吉村さんも相当酒が強く2人で瓶ビールを10本飲んだ。最後は祇園のバーへ行き、そのままタクシーで平安神宮近くのホテルへ。

「お風呂、先に入ってくださいよ」と言い、彼女は入り、ホテルの浴衣を着て出てきた。僕は彼女の後に風呂に入ったが、すでにアソコはギンギンに勃起しており、いかにしてこの状態を収めるかに苦心し、元大関・小錦をはじめとした巨漢の裸の男たちを頭に思い浮かべ、なんとか興奮を除去しようとした。

そして僕が風呂から出たら吉村さんはベッドの脇に座り、ドライヤーで髪の毛を乾かしていた。このとき22時30分。エロをするのならば絶好のタイミングだろう。当時の僕の精力であれば、4回はできる。となれば、午前1時までの2時間半、濃厚なセックスを楽しむことができる。後は二人してグースカ寝てしまえばいい。

しかし、ここで僕は一つの痛恨のミスをしていた。なんと、ツインの部屋にしていたのだ。少し遠慮があったのだ。「あくまでもあなたと旅行がしたいだけで、セックスがしたいわけではありません」のアピールとして、ツインにしたのだ。ダブルの部屋にしておけば、同じベッドに自然と寝られるのだが、我々の間にはスペースがある。

「そっちに行っていいですか?」の一言が言えないまま、我々は分かれたベッドで会話を続ける。結局1時までベッド越しに会話を続け「お休みなさーい」となった。

翌朝、チェックアウトは10時だったのだが、8時過ぎの段階で「エロをするならもう今しかない……」と思ったものの、結局2人して互いのベッドに腰をかけて会話を続けるだけだった。

9時45分。タイムアウトだ。僕は「さて、チェックアウトしますか」と言い、吉村さんも「はい」と言い、外に出た。紅葉のきれいな京都の街に出て、平安神宮を歩き、最後は蛸薬師通りの和食の店で昼食を食べ、京都駅へ。

これが吉村さんと会った最後だ。

一応、「楽しかったですね」というメールは送り合ったものの、以前ほどメールの回数は多くなくなった。そしてこれから約1年後、こんなメールが来た。

吉村さんから来たメール

「ニノミヤさんへ 私、結婚することになりました。私は当初、そこまで乗り気ではなかったのですが、自分よりも年下の男の子が『結婚してください』と涙目になりながら下から見てきて、『こんなこと言われて拒否するわけにはいかないじゃない』と思い、プロポーズを受けました。

ニノミヤさんとはこうして色々とやり取りをさせていただき、京都にまでご一緒できました。本当に楽しかったです」

これに対しては「おめでとうございます」と返事をし、以後吉村さんとのメールのやり取りは終わった。本当に京都のあの夜、「吉村さん、セックスしましょう」と言えば良かったと今でも後悔している。以来、「エロは男から誘うべし」ということを信条に生きている。

そうした信条でいるため、その後は自分から誘うのだが、二度だけ断られたことがある。両方とも「今日は生理だから」というものだった。断るための方便だと思われるかもしれないが、両方のケースで彼女たちからは「でも、来週だったら大丈夫だよ」と言われ、その場で勃起しながらカレンダーに会う日時を書きこみ、そしてエロに至った。

さて、果たして僕は吉村さんと京都で「やれたかも」なのか? 今でもそこはまったく分からない。

ext/中川淳一郎