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想像力でカバーできる範囲はそれほど多くない

さて、話をもどして最初の「実際に会うとけっこういい人だった現象」について考えたい。こうしたことが起こるのは、目の前の相手にだけなら、人間はいくらでも本質を隠せるし、取り繕えるからだろう。それも確かにある。だけどこの現象、「想像力の限界」と考えてみることもできるかもしれないと私は思う。

人は、目の前の相手や、いつも身近にいる人の事情なら理解しやすい。身近なところにゲイやレズビアンの友人がいれば、「ハーフ」と呼ばれることに苦しんできた過去を持つ友人がいれば、ナイジェリアから来た女性がいれば、彼らが不快に思う発言は控えることができる(もちろん、それも完全には程遠いけど)。

手の届く範囲の人間になら配慮できる。でも、身近なところにいない人間のことを想像し、配慮するのは難しい。『なにかが首のまわりに』の話でいえば、私の知り合いにナイジェリア出身の人はいないから、もしも主人公のような人に出会ったら、私も「どこで英語覚えたの?」なんて質問をしてしまった可能性はおおいにある。この小説を読むまで、ナイジェリアの公用語が英語だと知らなかったから。

そもそも、差別や偏見の問題を「想像力」でカバーしようとするのが間違いなのだろう。目の前に相手がいれば、身近なところに事情を抱えた人がいれば、その人に事情を打ち明けてもらっていれば、その人が不快に思う発言を想像して、控えることもできる。でも目の前に相手がいなければ、自分の知識の少なさがそのまま露呈してしまう。SNSなどで見るさまざまな人の失言って、私は裏に知識の少なさがあるような気がしてならない。

想像力でカバーできる範囲はそれほど多くない。身近なところにいる友人のバリエーションを増やすのもきっと難しい。だとすれば、さまざまな方面への知識をキャッチアップする努力を怠らないことと、「自分はこの事柄に関して無知かもしれない」という緊張感を忘れないでいることしか、できることはない。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェは物語を通して、そんなふうに、自身の行動を振り返るきっかけをくれるのだ。

Text/チェコ好き(和田真里奈)

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