「誰かがそばにいてほしい」と願う気持ち
一方で人の幸せを願うとき、「その人のそばに誰かがいて欲しい」とどうしても思ってしまう自分もいる。
それが配偶者や恋人でなくてもいいし、性別も年齢もなんだっていい。病気になってしまったとき、そばにいて、お見舞いのときにきれいな花やフルーツを買ってきてくれる人がいるといいなと思う。深夜、どうしようもない気持ちになってしまったとき、電話の相手をしてくれ、オチのない、毎日のなんでもない話を聞いてくれる人がいるといいなと思う。かっこつけることも見栄を張ることもなく、欠点や短所を含めたすべてを肯定してくれる人がいるといいなと思う。とてつもない寂しさを抱いたときに「寂しい」と素直に言える人がいるといいなと思う。
そんな人が私である必要はまったくないけど、私が大切だと思うすべての人に、何か強いつながりを感じられる相手がこの世界でひとりくらいいてくれればいいなと思う。私は私ひとりで生きていて、それが幸せだと強く思っているので、矛盾しているのはわかってはいるのだけれど。
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祖父母が結婚や出産の話を持ち出す度に、鬱陶しさを感じる。「大きなお世話だよ」とも「放っておいてよ」とも思う。 けれど、それは、遠くに住んでいてなかなか会えない孫の私に対して心から幸せを願っている言葉であることも知っている。その気持ちを、きちんと理解することができる。
次はいつ会えるんだろう。わからない。あと何回くらい直接話ができるんだろう。それも、わからない。けれど、わたしは祖父母に会って「結婚はまだか」「ひ孫の顔が見たい」と言われる度、へらへらと笑いながら「いい相手がいればいいんだけどね……。」と、適当にはぐらかすのだと思う。
Text/あたそ
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