家探しとは自分の人生を見つめ直す作業である『プリンセスメゾン』作者・池辺葵さん(後編)

20代後半、年収250万ちょっと、恋人なしのおひとりさま女性・沼越さんが、“運命の物件”を求めてモデルルームを巡り歩く日々を描いた漫画『プリンセスメゾン』

『モチイエ女子web』との連動企画として『やわらかスピリッツ』に連載され、女性読者を中心にあたたかい共感とささやかな勇気を与えている本作の作者・池辺葵さんに、女性の人生と住みかの関係について前後編でお話を伺いました。

今回は後編です。

■前編「おひとりさまが家を買ったっていいじゃない!」はこちら

家を買うという決断には損得ではないその人だけの理由が必要

――『プリンセスメゾン』で“運命の物件”を探す沼越さんは、20代後半で年収250万ちょっと。住んでいるのも古いアパートの1階と、かなり地に足の着いた設定ですね。

池辺葵さん(以下、池辺)

最初から、マンションが買えるぎりぎりの年収の人の話にしたいと思ってました。『モチイエ女子web』の人にもかなり取材や試算をしてもらったら、“年収250万”という表現でもダメで、“年収250万ちょっと”が本当にぎりぎりの最低ラインらしいです。

――作中には「単身女性の住宅ローンは審査が下りにくい」とったセリフがあったり、シビアな現実も描かれていますが。

池辺

でも、ローンってもっと組みづらいものだと思ってたんですけど、取材をしてみて、思ってたよりなんとかなるんだとも思いました。

銀行にもよると思いますが、派遣社員でも3年以上勤めていればローンが下りるとか、頭金をいくら払えるかによってもだいぶ変わるとか。持ち家は買った家自体が担保になるから、保証人に関してはむしろ賃貸のほうが厳しかったり、単純にスペックや数字だけで決まるわけじゃないんだなって。

――1巻で「努力すればできるかもしれないこと、できないって想像だけで決めつけて、やってみもせずに勝手に卑屈になっちゃだめだよ」という沼ちゃん(沼越さん)のセリフがありましたが、本当にそうなんですね。

池辺

でも、実際のところ20〜30代の若いうちに自分の家を買う決断ができる単身女性ってそう多くないと思うんです。仕事が中心で家には寝に帰るだけとか、将来どうなるのかまだわからないって人なら、買う必要ないと思うし。

沼ちゃんがそこまでして家を買おうとしていることに、どうやって説得力を持たせるかは悩みました。

――2巻で、沼ちゃんが持ち家にこだわる理由というか背景が、初めて明かされたのはそのためですか?

池辺

それも実は後付けの設定なんですけどね(笑)。持ち家は将来的に資産になるから、長期的に考えると賃貸のほうが高くつきますよ、とか言われても、じゃあ買おうとは思えないじゃないですか。結局、損得ではなくて、たとえ高くても家を持ちたいという、その人だけの強い理由が必要だなと思って。

自分の生き方や幸せの価値観を見直す作業、それが家探し

――そんな沼ちゃんの姿を見て、不動産屋の人々も次第に応援を始めて、沼ちゃんと深く関わるようになっていくんですよね。

池辺

最初は、沼ちゃん以外にもいろんな人が出てくる群像劇にしようと思っていて、不動産屋さんの人たちもあんなにずっと出てくる予定じゃなくて。

でも、描いてるうちにみんながんばって生きてほしいなってかわいく思えてきちゃって、沼ちゃんが不動産屋さんの人たちと徐々に関係を築いていく展開に自然となっていきました。

――最初はファミリー向けの物件や、都心の高層マンションを見ていた沼ちゃんが、だんだん自分に本当に必要な条件を絞っていきますよね。なんだかそれが、人生における就職や結婚に似ているなと思いました。

池辺

そうなんですよ。家探しって、自分の生活や生き方を見直したり、自分にとっての幸せって何か考える作業にもなるんだなと、描いていて思いました。

実際に東京でかなりの賃貸物件を見て回ったんですけど、東京の住宅事情にカルチャーショックを受けて。

――え、どんなところにショックを受けたんですか?

池辺

私の実家の方だと十分いい部屋に住める値段でも、びっくりするくらい狭くて。東京の人は、家に関してはみんなすごく優しいんだなーと思ってしまったんですよね。でも、家ってそこまで気に入ってなくても実際住んでみたら慣れちゃうし、どこに住んでも自分が受け入れさえすれば馴染んでいくんだろうなって。

それは持ち家を買うにしても同じで、どんなに気に入った理想の物件でも、暮らすうちに絶対何かしらの欠陥はあって100点にはならないと思っていて。何かひとつ自分にとって譲れない魅力があれば、あとは我慢できるのかなと思うんですよ。

担当編集Kさん(以下、担当K)

すごい、まるで好きな人と結婚する話をしてるみたいですね(笑)。そういえば、20代のうちは家を買うことにリアリティを持てないけど、40代になるともうローンが組めなくなる、というのも出産のリミットに似ていますね……。

今どう生きたいかを考えたら持ち家もいいかも、と思えた

――家を買うつもりがない人も、もし自分が家を買うとしたらというのを真剣に考えてみると、自分の人生にとって大事なものや生き方を見つめるいい機会になりそうですね。

担当K

実際に家を買った単身女性にも取材をしたんですけど、みなさん「いざとなったら最終的には売ればいい」と言っていたのに驚きました。私はどうしても、持ち家を資産や投資と考えることができなくて、愛着を持って一生愛でるものだと思ってしまうので。

池辺

ただ、持ち家も自分の人生を彩るツールのひとつにすぎないから、そこまで一生ものと考えて情を持つ必要はないのかなって思ったりもするんです。自分の状況が変わって要らなくなったら、売って明け渡せばいいのかなと。

これまで家を買うなんて興味もなかったけど、この連載を始めてから、家を買えるっていいなって思うようになりました。

――そこをもう少し軽やかに考えられるようになったら、生き方のパターンも増えそうですね。

池辺

今住んでいる家は賃貸なんですけど、カウンターキッチンで選んだんです。私にとってはそれだけでテンションが上がって毎日が楽しくなる。あとすっごいつらくても、幸せな気持ちになれるんですよ。家賃は希望より少し高かったんですが、少しの間だけ、と思い切りました。

すごく貯金したところで、人間死ぬときは1円も持って行けないんだって思って。将来のために、今少しの不自由さを我慢するのもいいことだと思うけど、上手に使って今を楽しく生きるのもいいのかなとも。どんなに大変なことになっても、絶対なんとかなるってどこかで思ってるところがあって。浪費に気をつけないとですね。
本当の贅沢とは高価なものを持つことではなく、心の有り様だとおっしゃる(そして贅沢とは悪いことではない)森茉莉さんの「貧乏サヴァラン」を再読して原点に戻らないとです。

――家を持つことを、将来への投資とか、老後のための保険と言われても、正直ピンとこない人は多いと思います。

池辺

私も少し前まで老後のことを考えてたんですけど、最近はもう死を考えるようになって(笑)。どこでどんなふうに死ぬんだろうと思ったら、自分が今どう生きたいのかをすごく考えるようになりました。

そう考えたとき、ふと、自分が死ねる家があったらいいなって思って。まあ、実際は病院で死ぬことのほうが多いやろうけど。サスペンスとか見てると、ご年配の方が「死ぬ時は自分の家で死にたい」と言うシーンをたまに見るんです。それ、前までは何でやろって思ってたけど、最近、その気持ちがちょっとだけ分かるようになりました。

――家のことに限らず、人の目を気にせずに、今の自分の幸せのためにがんばれる沼ちゃんのような生き方ができたらいいですね。今日はどうもありがとうございました!

(プロフィール)
池辺葵
2009年、『落陽』でデビュー。洋裁店で働く女性が主人公の『繕い裁つ人』(講談社)は、2015年1月に中谷美紀主演で実写映画化もされた。他の作品に、喫茶店を舞台とした群像劇『サウダーデ』(講談社)、老婆の夢と現実を描いた『どぶがわ』(秋田書店)などがある。現在、『やわらかスピリッツ』(小学館)×『モチイエ女子web』にて、『プリンセスメゾン』を連載中。2月12日に最新刊第2巻が発売された。

Text/福田フクスケ

※2016年3月14日に「SOLO」で掲載しました