色付けを急かされるジェネレーション
生まれてこの方、これぞ運命の出会い!と思って始めた趣味やお勉強をことごとく途中で放り出し、オタク気質な人々をいつもうらやましく思ってきた私である。しかしながら、こと仕事に関して言えば、無色の人間にも案外需要はあるんだな、というのが最近の大きな気づきである。
ある一色に染まり切った人ばかりの世界に、染まり切らない人として混じることでちょっとだけ新鮮な風を吹かせたり、あるいは違う世界から別の色の人を連れてくることで、もとあった色と親和性の高い、新しい色を作り出す。そんなお仕事が、世の中には結構あるのだ。
たとえるなら、香川県と岡山県をつなぐ瀬戸大橋みたいになる仕事。
人様のネットワークや活動の模様がいちいち可視化され、自分の色が定まっていなければ何かと心細さを感じることの少なくない世の中である。自由を手にした私たちの生きる世界は広大で、何か奇抜なことをして目立ったり、あるいは、閉ざされた小さな世界の中にしかと自分の居場所を確立しておかなければ、自分は誰の目にもとまっていないんじゃないか、みんなに見えない存在なんじゃないかと不安に駆られることも少なくない。
でも、だからって、決して色付けを焦る必要はないんじゃないかと私は思うのだ。何しろ先に述べたように、無色であることを求められるシーンも少なからずある。
自分が何色でもなければ、とりあえず橋を目指すという道もある。だから、必ずしも無理に急がず、心細さをしっかりと噛み締めながら、時間の経過に身を任せる。そんな風に生きたっていいんじゃないかと思う。
…で、そんな中でもどうしてもやりきれなくなったら「ミスターセロファン」をとほほな顔して口ずさんでみる。そうすると、きっとちょっとくらいはましな気持ちになるというものだ。
Text/家入明子
※2015年7月15日に「SOLO」で掲載しました