「男はすっぴんに近いナチュラルメイクが好きなんだから、そんなに気合いを入れて化粧をしたって無駄」というお説教を、度々聞く。もちろんそんなことは女性なら誰でも知っていて、たしかに一般的なモテや恋愛のことだけを考えるならば、5,000円以上するアイシャドウやらチークやらを年間いくつも買い足すのはバカげている(アイシャドウとか、絶対に使い切らないし)。
しかし、では化粧品に無駄なお金を使うのを一切やめて、メイクを「最小限」にとどめるのが正解なのか。あるいは、「私はモテや恋愛のためじゃなく、自分のためにメイクするんだ!」と割り切って、グリーンやオレンジの奇抜な色を使いまくるのか。
「自分のため」と割り切るのもカッコイイけれど、メイクだけでなく「容姿を整える」こと全般は、何かしら他者との関係の中にあるというのが私の考え方だ。「自分のため」にメイクするのは、「自分のためにメイクすることができる強い私」を見てもらいたい人が、きっとどこかにいるからではないだろうか。そして、それはとても自然な気持ちだ。
身を守るための、「魔除け」としてのメイク
劇団雌猫の『だから私はメイクする』には、メイクにまつわる15人の女性の胸の内が書かれている。共感できる人から「その発想はなかった」的な人までエピソードはいろいろなのだけど、これを読むと改めて、「私は何のためにやっているんだっけ?」と、毎日のルーティンを振り返るきっかけになる。
綺麗になった自分を見せたい人がいる。ただ、その相手は必ずしも恋愛対象となる「男性」だけじゃない。「だれのために、何のためにメイクするのか?」その答えは十人十色で、しかも日によって違うこともある。
『あだ名が「叶美香」の女』は、一度に20以上のアイテムを使って、人間味を殺した人工肌の上にゴージャスでファビュラスな目元を作るメイクを好んでいる。もちろん男性からの評判は良くないらしく、たまにメイクを薄くすると「そっちのほうがいい」とお節介をやかれるのだとか。
だけど、叶美香の女はその評判に納得済みだ。なぜなら彼女が目指しているのは、どんな男性にも親しみやすさを持ってもらえる可愛らしい顔ではなくて、「浮世離れしていて迂闊に話しかけられない強い顔」だから。
たしかに、考えてみれば「モテ」「恋愛」といってもいろいろある。ナチュラルなメイクで門戸を広くするとたくさんの男性に好かれるかもしれないけれど、こちらが好きではない男に好意を持たれたって、面倒なことが増えるだけだ。
「(ナチュラルメイクで寄ってくるような)そういう奴から自分の身を守るためによそおってんだよ!」とは、本の中にある宇垣美里アナの言葉だけど、「モテ=ナチュラルメイク」はたしかに短絡的すぎるのかもしれない。薄くて儚いいわゆる「モテるメイク」は「御しやすい女」のイメージをまとうこととニアリーイコールだから、まわりに流されがちだったり自分をしっかり保ちたいと思っている女性は、「強い女メイク」をすることこそ逆に「(自分が望む形の)モテるメイク」になったりするのだろう。
男性に好かれるだけでなく、好意を持たれたくない男性から身を守るのもまた、メイクだ。〈「魔除け」としてのメイク〉という考え方に、「そういう発想をしてもよかったんだ!」と膝を打つ女性も少なくないのではないだろうか。
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