恋愛関係は「密室」だから、彼の真意がわかるのはあなただけ

恋愛と家族がまるで箱の中のようにいる構図は似ている画像

 幼い頃、自分の家の常識は世界の常識だった。子どもは他の家のことを知らないままで育つから、自分の家だけでまかり通っているルールを、普遍的なものだと勘違いしてしまう。その多くは笑い話で済むものだけれど(納豆には必ず砂糖を入れるとか)、まずいケースだと、家で父親にされていたおかしな行為を、中学生になるまで「性的虐待」だと気付かなかった……なんて話もある。家庭は密室、といわれる所以である。

 ところで私は思うのだけど、家族と同等に密室といえるのが、恋人同士あるいは夫婦ではないだろうか。
子どもは他の家のことをよく知らないままで育つけど、恋人や夫婦もまた、他のパートナー同士がどんな関係を結んでいるのか、自分のところ以外の実態はよくわからない。
白状すると、私は恋人から、友人たちには絶っっ対に言えないかなり恥ずかしい呼ばれ方をしているんだけど……そのため、友人がパートナーのことを「ユウコ」「トモアキ」など下の名前で呼んでいるところに出くわすと、無駄に冷や汗が流れてしまうのだ。

赤ん坊を連れ去った真意は?

 呼び方の話は置いておくにしても、2人にしかわからないこと、2人の間だけで通じるルールみたいなものは、どんなカップルの間にもある。誰のどんなところを好きになるかも、誰をどんなふうに愛すかも、究極のところ人それぞれすぎて、普遍的なものは存在しない。

 角田光代さんの『八日目の蝉』で、主人公の希和子は、不倫相手の妻が産んだ赤ん坊を病院から連れ去る。
以下はちょっとネタバレになってしまうんだけど、警察の手を逃れて、希和子はそのまま数年間、赤ん坊を自らの手で育て上げるのだ。

 最終的に希和子は逮捕され、誘拐された「恵理菜」は、元の両親のところに無事戻ることができる。だけど恵理菜は物心ついてから、希和子と自分の父親の不倫に関する記事を、週刊誌でたくさん読んでしまう。そしてなぜか大学生になると、週刊誌を読んで嫌悪していたはずの不倫に、自らもはまっていってしまうのである。

“でも、今ならわかる。もちろん全部はわからない。ただひとつだけ、嘘ばかりつく、女にだらしのない、なんにも決められない人でも、好きになってしまうこともある、ということはわかる。わかる自分に心底嫌悪を覚えるとしても。”角田光代『八日目の蝉』

 上は、不倫をしている恵理菜の独白だ。
『八日目の蝉』では、希和子がなぜ赤ん坊の恵理菜を連れ去ったのかも、大学生になった恵理菜がなぜ嫌悪していたはずの不倫に自らはまっていったのかも、はっきりとは書かれていない。だけど、ブラックボックスの中身はわからなくても、「そういうことも起こりうる」ということだけは、ものすごく腑に落ちるのだ。