途中下車して散策を楽しみながら
春はもう目の前まで来ていて、駅などでも桜の観光名所へ誘うポスターを多く見かける季節となりました。
ぽかぽかとした陽気は嬉しいものですが、花粉症に悩む人たちにとっては晴れた日の外出を躊躇してしまうこの季節。スギ花粉のピークは4月上旬頃とのことなので、むずむずする煩わしさから開放された頃に花見ができたなら、と願ってしまいます。たとえば、東京より少し遅れて開花する東北の桜たち。近所での花見ももちろん楽しいですが、長い間憧れている桜に秋田県角館のシダレザクラがあります。
ちょうど昨年の今頃の私は、書籍『クリームソーダ 純喫茶巡り(グラフィック社)』の取材のため、週末になると全国各地の純喫茶を飛び回る日々を送っていました。今まできちんと訪れたことのなかった秋田県へ行くきっかけになったのは、この書籍で紹介したい純喫茶を見つけたからでした。それは、羽後本荘駅から歩いて数分のところにある「サモワール」。
初めて知る地名。初めて下車する駅。初めて訪れる純喫茶。
山形県酒田駅を散策するために経由したとはいえ、片道6時間近くという長時間の移動も苦にならないほど目に映る色々なものが新鮮で、わくわくしたことを今でもすぐに思い出すことができます。
ようやく到着した「サモワール」で出迎えて下さったのは、笑顔がとても美しく、物腰柔らかでありながら芯の通った印象を受ける素敵な女性でした。ロシア語で「湯沸かし器」の意を持つサモワールという店名の響きのためか、雨降りで鈍色だった空気の中に佇むこちらはどこか外国のお店のように思えたのでした。
入口からゆるいカーブを伴って室内へ入ると想像以上に広く、ステンドグラスのような窓が一つ、テーブルには花のレースがあしらわれた琥珀色に包まれた空間です。赤のチェック模様の床も個性的で写真を撮りに来る人もいるのだとか(『足の下のステキな床(グラフィック社)』 にも掲載されています)。
お話を伺っている間、終始笑顔を絶やさないマダムは明るく、弾む会話に「このお店が気軽に行ける距離にあったならどんなに良いだろう」と何度も思ったほどです。
日帰りで東京に戻らなくてはいけなかったためわずかな時間の滞在となり、後ろ髪をひかれつつもお店を後にしたのですが、扉の外に出てから姿が見えなくなるまでずっと手を振って下さり、さらに東京に戻ってしばらくした頃にはお手紙と贈り物まで送って下さったのです。
お礼の電話をした時に聞こえたやさしい声に楽しかった時間をしみじみと思い出し、誰かとの親密さというのは回数ではなくその瞬間にいかに心を通わせることができたかである、と強く実感した大切な一日となったのです。
あれから約一年。角館の今年の開花予想は、4/20頃だそう。
秋田を経由して羽後本荘駅から角館駅まで約2時間、十分に移動できる距離です。近い将来、念願の桜を見た帰りに少し寄り道をして、また美しいマダムと会話に花を咲かせる春を空想するのです。
Text/難波里奈
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