晩年をだれと過ごし、死にたいか?
「年をとったら、かわいいおばあちゃんになりたい」って、一時期みんな言ってた気がするけれど、あなたはどうですか?
私はというと、「かわいいおばあちゃん」にはなれなくてもいいけど、頼むから料理ができない若者をバカにするテレビ番組を見て喜ぶ老人にだけはなりたくないと、強く思いながら日々を過ごしています。
それはいいとして、20代や30代くらいだと、まだまだ自分の「死」や「最期」をリアルには想像できません。だけどぼんやりとなら、「晩年をだれとどんなふうに過ごして、そして死にたいか」なんて問題を、考えたことがある人も少なくないはずです。
「孤独死」、むしろ理想の最期では?
東京都写真美術館にて9月18日まで、『コミュニケーションと孤独』という展覧会がやっています。平成になってから普及したインターネット、SNS、そして孤独死の問題などを、現代の写真家たちがどのように捉えてきたかを知ることができる展示です。
今回私が注目したのは、その中でも郡山総一郎氏の「Apartments in Tokyo」というシリーズ。これは、アパートで孤独死を遂げた人々の、生前に遺した部屋を撮影した作品群でした。
「Apartments in Tokyo」に登場する部屋は、いかにも「孤独死を遂げた人の部屋」という感じで、見ていてあまり気持ちのいいものではありません。洗濯物が室内干しにしてあったり、炊飯器の中にごはんが残っていたり、醤油の瓶が机の上に置いたままになったりしています。布団にはシミがあって、干していないのかぺたんこに潰れていたりして。
ですが、「気持ちのいいものではない」とはいえ、なぜか私は「Apartments in Tokyo」の部屋に、嫌な感じはあまり抱きませんでした。これを見て、「こんなふうに一人で晩年を過ごして、最期をむかえるなんて嫌だなあ」と思う人も中にはいるでしょう。だけど私はどちらかというと、「まあ人間だもの、しょうがないよね」という印象だけが残ったのです。
「孤独死」というと、一般的には独身者の問題として連想されがちです。しかし、たとえ結婚していたとしても、妻や夫と同時に旅立つということは無理心中でもしない限りほとんどありえないわけで、つまりパートナーがいる人であっても、最期には必ずどちらかが一人で残る。子供がいる人であっても、昨今は老後に子供と同居するのはレアケースだといいます。
本質的には、孤独死のリスクから逃れられる人はだれもいません。感想を強要はしないですが、「こんなふうになるなんて嫌だ」と思うより、「こうなったらまあこれはこれで」と思っておいたほうが、自分にも他人にも優しい気はします。
そして今つい「リスク」という言葉を使ってしまいましたが、一人大好きの私は最近、「よく考えたらむしろ、孤独死って理想の最期では……?」と考えるようになってしまいました。
以下はそんなわけで、私が考えた「ここが最高!」な孤独死のポイントです。
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