時間と労力を捧げた先に

実は私、数ヶ月前から、護身術を習い始めました。なぜ護身術だったのかというと、純粋に体力作りをしたかったのと、自分の身を自分で守れるようになりたかったんです。
「いくら一人で生きていくとはいえ、暴漢を撃退できるまでに強くならなくてもいいのでは!?」という声も聞こえてきそうですが、なんかカッコイイかな、と思っちゃったんですよね……。

護身術は、やってみると相当ハードでした。ストリートファイトを想定しているので、練習では首を絞められたり馬乗りになられたりおもちゃのナイフで襲われたりします。そして一瞬の気の緩みから攻撃をくらってしまい、腕に痣を作ったり、唇から血が出たりすることもしばしば。最初の頃は、何度も「今日こそ退会を申し出よう……」と思っていました。

だけど、上級クラスの生徒さんたちを観察すると、その動きに一切の無駄がなく、フォームが整っていて美しいことがわかります。私の運動神経がもともと悪いのもあるけれど、へなちょこパンチやよろよろキックしか繰り出せないことが実際にやってみてわかったからこそ、彼らがどれだけの時間と労力をかけてそこまでたどり着いたかに、思いを馳せることができます。

「継続」とは「孤独」と向き合う力

好奇心から一回だけやってみる、というフットワークの軽さも素晴らしいけれど、同じことをずっとずっと継続するのってとにかく大変です。飽きるし、時間的にも金銭的にもコストがかかる。だけどそこで毎回、自分を飽きさせないような何かを発見して純度を高めていくことって、実はすごく「孤独」と向き合うことと繋がっているのではないかと思ったんです。

最近私が読んだ本によると、外向的な人は外部からの刺激に鈍感で、内向的な人は外部からの刺激に敏感なんだそう。内向的な人が家に一人でいても退屈しないのは、小さなことからでもたくさん刺激を受けたり感動したりできるからなんですね。もう脳の構造がそうなっているらしい。
なのでこれを今さらどうこうするのは難しそうではありますが、一人の時間を持て余しがちな人は、一つ継続してできる何かを見つけてそれにとことん向き合ってみると、小さな刺激や変化を見逃さない孤独に強い脳になれるかもしれません。

かくいう私は思いっきり内向型なので、孤独と向き合うのは大得意なのですが、反対にコミュニケーション能力のほうが問題です。読者のみなさん、私に何か有効なアドバイスをください。
それにしても、コラムに書いたことによって、護身術がますます辞めにくくなってしまいました……。

Text/ チェコ好き

初出:2017.02.13