後世に遺伝子を伝えるという、生き物としての本能

これは生き物の性質として理解できることで、天を突き刺すような高層ビルを建てても、そこで百万ドルの夜景を目にしながらシャンパンなどを片手にうっとりしてみせても、我々の祖先というのは槍を抱えてウホウホいいながらマンモスを追いかけてたという事実は変わらないわけです。それが良いか悪いかは置いておいて、とりあえず生き物の本能として、自分の遺伝子を後世につなぐことがプログラムされている。だから、自分の遺伝子を後世につなぐことが難しくなってきたときに、罪悪感や息苦しさに苛まれるという話は、私はなんだか納得してしまいます。

となると、やっぱり後々のことを考えて、たった1人で生きる人生なんてのはほどほどのところで諦めたほうがいいんでしょうか。これはかなり難しい問題なのでこのコラム1回で結論は出せませんが、この話を聞いて「あ、キツそう」と思って方向転換する人がいても、私はとてもじゃないですが彼女(彼)を責められません。

ただまあ、現代は原始時代とはちがうので、考えれば何かいい方法はあるはずだ、と私は思っています。「1人の男と1人の女」じゃない夫婦や家族を作ったっていいし、血の繋がらない子供を育てたっていい。もっと間接的な方法で、自分の遺伝子は伝えられなくても、自分の思想を後世に伝えていくという考え方もあります。しかしいずれにしろ、ほどほどのところに年齢が差し掛かったら、自分そのものではなく自分の後ろに控えている人たちに視線を向けていく必要があるのかな、ということはけっこう確実にいえそうです。

というわけで、こういうときは集合知。みなさんからのアイディアを募集しています。私たちは自分のためだけに生きていけるのか、生きていけないのだとしたらどのような方法で自分の思想を後世に遺すのか。お時間のあるときに、じっくり考えていただけたら嬉しいです。

Text/チェコ好き

※2015年11月26日に「SOLO」で掲載しました