「正しい(とされる)生き方を選ぶ」ことが今の私たちのやることではない

『対岸の彼女』な私たち

『東京タラレバ娘』の書影 『東京タラレバ娘』東村アキコ/講談社

 男女ともにアラサーになってくると、中学高校大学時代にできた友人たちと、ちょっと話が合わなくなってきたりしますよね。結婚、出産などはその理由としては定番ですが、私の場合はそれに加え、仕事に対するモチベーションのちがいが原因になっていることも多い気がします。

 文化系女子である私の究極の夢は「高等遊民」なんですけど、おかげでキャリアウーマン系を目指す女性とは話が合わないことが多いし、もちろん専業主婦志望のゆるふわ女子とも話が合いません。昔は一律「女子高生」「女子大生」でいられたから何とかなったのに、大人になるとクラスタが変わって話が合わなくなってくるんですね。
(というか、「高等遊民」の部分はあまり突っ込まないでいただくとしても、キャリア系でもゆるふわ系でもない中間層の女性ってけっこういるはずなんですけどね、いかがでしょう)

 友人同士とはいえ、話が合わなくなってくると自然と疎遠にもなっていくわけで、学生時代に培ってきた友情は、30歳前後を境に変容していかざるを得ません。このあたりの感覚は角田光代さんの『対岸の彼女』という小説によく描かれていますので、興味のある方は読んでみては。

昔の友人と心が離れていくのは、どうしようもないこととはいえ、やっぱり少しさみしいものがあります。そして、いくら一人の時間が充実していようと、現在の社会状況からして30歳前後からの人生は、一人でいる女性にとってはなかなか過酷なものがあります。
世間の目も気にならないといえば嘘になるし、自分の人生の選択は正しかったのだろうかとか、私は人生をナメていたんじゃなかろうかとか、人によってはとてつもなく孤独で、精神的につらい経験をすることになるかもしれません。

 でもですね、ちょっと視点を遠くに投げてみましょう。30歳になりました、40歳になりました、50歳になりました、60歳になりました、さらに進んで70歳になった自分と周囲を、ちょっと想像してみてほしいのです。