もしかしたら贅沢な望みなのかもしれない
好きな人、うーん。まあ、そうか。これも恋愛ができない人特有の思考回路なんだろうけれど、私のなかにある「好き」という気持ちと、女性として認めてもらいたいとかもっと近づきたいとか、そういう気持ちとは直結していない。だから、「好きな人」というと語弊があるかもしれない。少し違う気もする。私のなかに「気持ち」があるだけだ。
私はこの人の彼女になりたいとも、近づきたいとすら思わない。触れたことも、触れたいと思ったことも、今まで一度だってない。セックス、は、どうだろう。酔っぱらったふりして決死の思いで頼み込んだら、一度くらいは寝てくれるのだろうか。でも、そんなことして何の意味があるのだろう。私は、この人に女性である私を認めて欲しいわけじゃない。
確か、ずっと付き合っている彼女もいるはずだった。本当かどうかはわからない。私がその人の口からきちんと聞いたことがなくて、共通の友だちがちらっと言っているところを耳にしただけだった。ショックな気持ちも、嫉妬も全く湧いてこなかった。
ギャルが好き、とも言っていた。私なんか、全然好みのタイプじゃないんだと思って、ほんの少し安心したりもした。
なんで好きなんだったっけ。そうだ、私のことを絶対に傷つけない人だったからだ。
私はかなり難しい部分があるようで、人から言われたことを深読みして勝手に傷ついたり、怒ってしまうことがよくある。けど、この人は決して私の傷つくことを言わない。口も性格も悪くて、でも頭だけはよくて、きっと私を傷つける一言なんていくらでも思いつくはずだった。なのに、絶対に私を傷つけない。この人が私に向けて言い放つ言葉は、いつも心地が良いものばかりだった。
私の才能や今まで見てきたもの、過去を絶対的に信頼してくれているところも好きだ。なんとかして、応えてあげられたらいいと思っている。
私が文章を書いているのは、人に真剣な話ができなくて、自分の気持ちを一掃させる方法が他になかったからだ。ほとんど自分のために書いていると言ってもいい。けど、誰かに認められたいという意味合いで文章を書くとしたら、私の承認欲求はいつもこの人に向いている。この人が私に期待し続けてくれるなら、私はずっと自分の中身を削り出して、もがき続けながら文章にしていくことができると思う。
私を対等に扱ってくれるのはきっとこうして文章を書いているからで、もっといい文章が書けるようになったら、一緒になって喜んでくれるんだろうか、もっと認めてもらえるんだろうか、そんなことをたまに考えることがある。
一人の人間として、興味を持ち続けてほしい。私の望みは、「女性として好きになって欲しい」とか「彼女になりたい」とか、そういう気持ちよりもずっと贅沢なのかもしれない。