「駄蕎麦」に連れて行ってもらった
ところが最近、その店を思い出すような、住宅地にポツンとある老夫婦がやっていて、蕎麦前がひとつもメニューになく、なにかおつまみをありますか? と頼んだらプロレスチーズが出てきて、作業着を着た常連客がたぬき蕎麦とカレーのセットを食べていて、建前は禁煙なのに他の客がいない時はタバコが吸えるという、連れていってくれた人が「駄蕎麦」と呼ぶ店に行く機会があり、そこでなべ焼きうどんを食べたところ、それがほどよく美味しい上に、よいつまみになることを知った。蒲鉾やら鶏肉やら汁を吸ったぶよぶよの天ぷら衣などのちまちまとした具材は酒の肴にぴったりだし、土鍋に入っていて冷めにくいから最後に麺も美味しく食べられる。
あくまでも「ほどよく」なのだけどそれがちょうどよくって「こういうのもいいなぁ」としみじみ思ったし、なによりも「駄蕎麦」というネーミングを気に入ってしまった。あまりに気に入りすぎて、他に「駄」はないかとゴールデン街のバーで居合わせたお客さんたちと話し合ったところ「駄町中華」「駄ケーキ」「駄定食」などが出てきて、「でも駄の食って疲れなくっていいよね」という結論に達し、「駄」は愛せると一同が頷くことになった。
恋愛に当てはめてみると
これを恋愛に当てはめてみるとどうだろうか。「駄男」はあまり関わりたくはない。「駄恋愛」もちょっと遠慮したい。「駄オナニー」それする意味あんのか。でも「駄セックス」は、あまり悪くない気もする。例えば失恋したてとか、仕事で失敗をしてしまったとか、なんだかむしゃくしゃして発散したい時に、人間関係がなく責任もない相手とするそれほどよくはないけれど、悪くもないセックス。とりあえずは満たされるし、なによりも駄セックスを知ることで、駄じゃないセックスの価値を再確認することができる。駄には駄なりの価値があることを駄蕎麦で知った次第です。
Text/大泉りか
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