密室になり得てしまう「家族」より、「個人」がベースの社会になってほしい――『母という名の呪縛 娘という牢獄』

今回が最終回となるこのAMの連載は、スタートしたのが2018年。かれこれ7年、100冊以上の本について、なんだかんだと語らせてもらってきた。連載を開始した2018年を思い返してみると、当時は「(恋愛や結婚や出産について)こんなこと言ったら怒られるかも」と何かとびくびくしながら書いていたが、今はそんなに恐れることもない。これは、単に私が年をとって図太くなったというだけではなく、やはり世の中が少しずつ変化していった結果なのだと思う。

さて、7年前に「こんなこと言ったら怒られるかも」とびくびくしていたことのひとつに、家族の問題がある。今では「毒親」や「親ガチャ」という言葉がかなり一般的なものになり、家族が必ずしも「善いもの・安心できる居場所」ではないという考え方は、けっこう受け入れてもらえるようになった。

しかし2018年頃は、親や家族に対してネガティブなことを言おうものなら「親の苦労がわからないのはお前が未熟なだけ」「子供を愛していない親などいない」などと諌められてしまうことが、まだまだあったように思う。

最終回となる今回は、この「家族」について考えてみたい。私が最近読んだのは、元共同通信記者の齊藤綾さんによる、滋賀医科大学生母親殺害事件を追ったノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』だ。

母という呪縛 娘という牢獄/
齊藤 彩 (著)/講談社

9浪したが医学科に合格できず、母親殺害へ

滋賀医科大学生母親殺害事件は、9浪して医大を目指していたものの合格が叶わなかった女性が、自宅で母親を殺害し、その遺体をバラバラにして遺棄したという2018年の事件である。

”9浪”が衝撃的なので覚えている人も少なくないだろうし、犯行直後の「モンスターを倒した。これで一安心だ。」という女性の投稿は、今でもX(旧Twitter)上に残っている。

女性の名前は髙崎あかり(仮名)。医学科には合格できなかったものの、志望していた大学の看護学科には2014年に合格しており、キャンパスライフを経て、母を殺害した2018年の春から本来であれば看護師として働き始める予定だった。奇しくも、髙崎あかりと私は同い年。当然ながら高校を卒業した年も初めて大学受験をした年も同じで、浪人生活が始まった2005年からの9年間に、つい思いを馳せてしまった。

髙崎あかりは、母親からいわゆる「教育虐待」を幼い頃から受けていた。成績が悪いと熱湯をかけられたり鉄パイプで殴られたりというのはわかりやすく虐待で異常だけど、本書を読んでいて私が地味に「これは嫌だな……」と思ったのは、20代半ばくらいまで母と一緒に入浴していたというエピソードだ。水道代や光熱費の節約のためだったというが、母と入浴を合わせるために帰宅時間をいちいち報告しなければならないのは、かなり面倒だったと思う。

何より意味不明なのは、医学科には合格できなかったものの看護学科に合格して大学に通い、これからは看護師として働くというのだからもうそれでいいはずなのに、母がなぜか助産師にこだわり、せっかく出た看護師の内定を蹴ることを勧めたことだ。なぜ母がそこまで助産師にこだわったのかは髙崎あかり自身もわからないそうで、今となっては真相は闇の中である。