「無理は無理」と割り切る。アップグレードだけではない人生を『家事か地獄か』

「無理なものは無理」と割り切ると

30代も後半になり、もうすぐそこに40歳が見えるようになって、わかったことが1つある。仕事ですごい成果を上げていたり、素敵なパートナーや子供に恵まれていたり、友達がたくさんいたり、いろいろ充実してて楽しそうな人になるために必要なたったひとつのもの――それはずばり、「体力」!

30代前半くらいまで、そういう人になるために必要なものは「ルックス」だったり「コミュニケーション能力」だったり「地頭の良さ」だったり「自信」だったりだと私は思っていたのだが、違う。必要なものは「体力」だったのだ。

このことに気づいたのは、もちろん私が「体力がない」側の人間だからである。体力がある人は、体力があることが当たり前なので、誰も「体力が必要」だなんて教えてくれない。

しかし、彼らの生活をじっと観察していると、明らかにおかしいのだ。私は週に5日も働くと、土日のどちらかは絶対に誰とも喋らずに家からも出ない日を作らないと疲労で死相が出てしまう。「予定がないと不安だ、寂しい」という気持ちは、残念ながら一生理解できないと思う。

そして、残念ながら「体力がない」人間が、体力をつける方法は……ない! 筋トレするとか、たんぱく質をとるとか、もちろんできることがまったくないわけじゃない。が、「体力がある」友人・知人を見ていると、なんというかもう、生きている基盤が違う。

小さい頃から少食で、胃弱で、虚弱体質の私がちょっと筋トレしたくらいで太刀打ちできるようなものではない。なので、諦めるしかない!

30代前半くらいまではそれでもまだ「私にもできるんじゃないか」という気持ちが薄っすら残っていたけれど、最近はもう「無理なものは無理」という感じになってきた。そして、後ろ向きなようだけど「無理なものは無理」と割り切ったら、毎日とても心穏やかに過ごせるようになったのだ。

人生はアップグレードしていくだけがすべてではない。「無理なものは無理」と、ときにはダウングレードしていく覚悟を決めることも必要ではないか――稲垣えみ子さんの『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』を読んで、そんな気持ちが一層強くなった。

洗濯機も冷蔵庫もない生活

稲垣えみ子さんといえば、東日本大震災をきっかけに洗濯機も冷蔵庫もない超節電生活を送るようになった、究極の「ミニマリスト」のようなお方。本書は、生活家電をほぼ持っていない稲垣さんが、どのようにして日々の家事を行なっているかを綴ったエッセイである。

洗濯機がないので、洗濯物は当然ながら手洗い。掃除機がないので、掃除はちりとりで掃いて雑巾で拭く。冷蔵庫がないので、その日食べられるものを食べられる分しか買わない。このような生活はさぞ大変だろうと思いきや、稲垣さんいわく「このほうがラク」。

どういうことかというと、例えば、洗濯機がないと「週末にまとめ洗い」なんてとてもじゃないができないので、毎日ちょこまかちょこまか手洗いするしかなくなる。そうなると、ホテル仕様のふわふわタオルなんて乾きにくいから買わなくなるので、洗濯物の総量が自ずと減っていったというのである。

これには、私もちょっと似たような(?)経験がある。私は一人暮らしを始めてからもう10年近く、部屋が狭くて置く場所がないので電子レンジがない生活を送っているのだが、電子レンジはなければないでなんとかなるものである。

SNSでバズっているレシピでレンチン必須のものを見かけるとちょっと残念な気持ちになるけれど、SNSでバズっているレシピを作れないことによって、幸福度がダダ下がるなんてことはない。「作れないから諦めよ〜」となるだけである。

あと、以前使っていた冷蔵庫が中国製の激安ミニ冷蔵庫で冷凍室のスペースがほんのちょっとしかなかったため、それに合わせて生活していたら、冷凍室がしっかりある今の冷蔵庫に買い替えたあとも、何を入れたらいいのかわからなくて実はあまり使っていない。氷とアイスをちょこっと入れているが、電気代の無駄かもしれない……。