独身・子なしで中年になるのはやっぱり怖いのか――?『パーティーが終わって、中年が始まる』

独身の私は、いつもどこかで「人生のサンプル」を探している気がする。生涯を独身で過ごした女性はサンプル数がとにかく少ないので(私たちの親世代はほぼ皆婚社会だったのだから当然だ)、キャリアや金銭的な話はともかく、心情面に関してはこれから自分がどうなっていくのか正直まったくわからない。結婚は本当にそんなにしたくないんだけど、私は体力と元気がない系の独身女性なので、中年になっても友達をたくさん呼んで豪華なケータリングでパーティーしちゃうパワフルなシングルにはなれない気がしている。体力と元気がない系独身女性のサンプル、ないのか!? くれ!

そんな中、話題になっているphaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』を読んだ。こちらの本、SNSではどうも「結婚もせず子供も持たず定職にもつかないでいると、中年になって詰むぞ」みたいな文脈で話を持ち出されていることが多い気がして、定職はともかく独身の私は少し怯えながら読んだのだけど、結論から言うと、そんなに怖がるような本ではなかったかなと思う。

パーティーが終わって、中年が始まる/pha (著)/ 幻冬舎

下心がモチベーションだった

本書は、京大卒ニートとしてシェアハウスなどを運営しつつ、頻繁に引越しを繰り返しながら生きてきたphaさんが、43〜45歳になった心境を綴っているエッセイだ。現在は中年になってシェアハウスがきつくなってきたため、一人暮らしの賃貸に住まいを変え、猫2匹と暮らしているそう(もっとも、その猫も亡くなってしまったことがあとがきで明かされる)。私にとっては、「(私の今の年齢の時点で)わかるなあ」と思うことと、「もう少し年齢を重ねたらわかるかもしれないなあ」と思うことと、「今はぜんぜんピンとこないなあ」と思うことがエッセイの中で入り乱れていた。

「わかるなあ」と思ったことの1つは、「昔は異性と知り合って仲良くなりちやほやされたいという下心がモチベーションとなって、ネットで文章を書いたり人を集めるイベントを企画したりしていた」という部分。もちろんphaさんはそれだけで文章を書いたりイベントを企画していたわけではないけれど、確かに30代前半くらいまでのときって、そういう仄かな下心がいろんなことのモチベーションになっていてた気がする。それが、中年になるとそういう下心的モチベーションで何かを行うことが難しくなってきて、いろんなことが億劫になってくる――。

と、言いたいところだが、私は今も正直この「下心」がけっこうな原動力になっている。もっとも、私は中年になるにつれ、「仲良くなりたい」の対象が異性ではなく同性に向くようになった。同年代か少し上のいろんな女性に対して「仲良くなりたいなあ」と思っており、そのために文章を書いているところがあるんだけど、これが「あるある」なのか「なんだそりゃ」なのかはいまだによくわからない。同人誌即売会で中年女性にちやほやしてもらえるの、楽しいんです!