先日の私は、「どうしたら会社の人と仲良くなれるのか」「なぜ、みんな会社の人と仲良くできるのか」という相談を後輩に持ち掛けていた。1on1の時間であり、本来ならば私が後輩の業務上の悩みを解決したりタスクの整理に費やすべきではあるが、我々は雑談ばかりをしている気がする。
私のどうしようもない相談に、「いやあ、僕もわからないですね」と答え、お互いの人間関係の希薄さを確かめ合うような時間であった。
今の会社に勤め始めてからもうすぐ7年が経とうとしているのに、仲のいい人がひとりもいない。私がこうして文章を書いていることを誰も知らないし、何か悩んでいるときに相談できる相手はひとりもいない。自分から飲みの場に誘ったことは一度たりともないし、「ああ、今日は飲みたい気分だな」と思ったとき、誰の顔も思い浮かばない。
でも、それは今の会社だけではなくて、過去勤めてきた2社、アルバイト先、クラスメイト、習い事、あらゆる集合体で同じ現象が起きていた。誰とでも仲良くなれるし、当たり障りのないコミュニケーションも取れる。でも、それだけ。それ以上、仲良くなることはほぼない。なんで、普通の人ができていることを私はできないんだろうね。
後輩から「でも、Sさんと仲良いじゃないですか。お休みの日に遊んだりできないんですか?」と聞かれて、「いや~……絶対にありえないな」と思った。確信であり、絶対的でもあった。そして、会社とかクラスとか、いろんな人間関係に所属しながら自分と相手との共通点を見つけて、仲良くし続けられるのも才能とか能力がいるんだろうなというのを考えていた。
Sさんとご飯を食べる時間は楽しいけれど…
Sさんは、私よりも入社時期が早く、よくランチに行くような仲だった。お子さんが2人いる。LINEも教えてもらったし、たまにSlackでもどうでもいいやり取りをする。数年前に旦那さんと離婚したとき、私はずっと相談を受けていたし、その流れから自分の育った生育環境について話したこともある。一緒にご飯を食べている時間は楽しいし、仕事で悩んでいるときに救われたことも何度もある。
でも、彼女のなかでは私が異性愛者であり、結婚や出産をどうしてもしたくて、子どもが好きである女性という前提条件のうえですべての話が進んでいく。それに私は肯定も否定もしない。面倒臭いし、話したところできっとわかってもらえないから。だから、自分のことはあまり話さず、Sさんの見せてくれる子どもの写真や動画に「かわいい~」とか適当な相槌を打ったり子育ての悩みを聞いたりする。Sさんと私の間には、見えない大きな壁があるのだと思う。きっとわかりあえない。Sさんも私に対してどう思っているかわからないけれど、少なくとも私がSさんに心を開いて友だちのような存在になる日はきっと来ないのだと思う。
もう付き合いも長いし、かなりお世話になっているはずなのに、自分のなかで会社の人と友だちの間にははっきりと線引きがしてあって、その一線を超えることはない。自分の認識として、職場で出会った人とプライベートで遊んだり、自分が話したいことを話したりは絶対にしないのだと改めて認識する。そういえば、ランチの誘いも9割はSさんからで私から話を持ちかけることはほとんどない。どうでもいいわけではないし、嫌いじゃない。でもやっぱり私は、そもそも会社の人と深く関わりたくないんだと思う。
団体のなかでは「普通の女性」を求められる
何かの団体に所属するのも、そこに馴染むのも昔から苦手だった。当たり障りのない、できるだけ明るい性格の人間を演じ続けてだんだん辟易し、徐々にひとりでいる時間を長く取るようになって、「あの人はああいう人だから」という枠に収まる、というのがいつもの流れだった。クラス、部活動、習い事、バイト先、会社、あらゆる団体のなかで、私は一度たりとも居心地のよさを感じたことはないし、「ここが自分の場所だ」と思ったこともない。常にひとりでい続ける感覚を持っていた。
何かの団体のなかでは、基本的には概念上の普通の女性を演じなければならない。家族と仲がよくて、異性愛者で、常に恋愛がしたくて、結婚や出産も人生の絶対で、子どもや小動物が好き。家事も自炊もするし、常に部屋もきれいだし、お洒落やファッションにも興味があって清潔感がある。そういう普通の女であることが前提条件として要求されることがある。スーツを着るのと同じように、初対面の場や基本装備として、できるだけ普通の女に徹しなければならない。
でも、普通の女は、文章を書いたり会社員をやりながらエッセイ本を出版したりしないし、タワレコにCDが置かれていないバンドを好きになったいしない。家族の連絡を無視し続けたり、インターネットで友だちを作ったりもしない。マダガスカルにひとりで行ったり、大きな鳥を飼育することもない。海外の映画祭でグランプリを取った映画の期間限定配信を見て連日寝不足になったりもしない。毎月かごいっぱいの本を買ったり、動物園や水族館で延々とその生き物のうんちくを語ったりもしない。
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