「結婚したいから相手を探す」ができない。だけど、もしかしたらの可能性も残しておく

「いい人がいたら結婚したい」は、未婚の人間からよく聞く(らしい)言葉だし、振り返ると私も似たようなことを口にしたことがある。しかしこれを言うと、だいたい婚活コンサルタントのような人に猛烈に怒られるのである。「その年になったら、いい人は待っていても現れない! 自分から行動しなさい!」と……。

確かに、本心では結婚したいのにいまいち勇気がなく具体的な行動を起こせない人や、婚活アプリや結婚相談所のような場所で活動することを躊躇っている人も中にはいるだろうから、この叱咤激励がまったく的外れだとは言わない。しかし少なくとも私の場合、これはどちらかというと「いい人が特に現れないのであれば独身のままでいいし、その前提で人生に備えている」という意味で言っていた。そのため「いい人は待ってても現れない!」と怒られても、そんなこと知ってますけど……と若干萎えてしまっていたのである。「独身は本心ではみんな結婚を望んでいるはずだ」という前提で話を進めるのはやめてほしいなー、と思っていた。

この手の怒られ方をするとき、思い出すのは高校生や大学生だった頃だ。私は当時、友達が言う「彼氏がほしい」の意味がわからなかった。「好きな人がいて、彼氏になってほしい」だったらわかるのだが、まず関係性が先に来て、そこに当てはまる人を探すという感覚は当時の私にはないものだった。幸か不幸かそのまま中年になってしまったようで、今も私は「付き合っている人がいて、結婚したい」だったらわかるのだが、「結婚したいから相手を探す」という考え方があまりできない。

そんな私なので、大谷朝子さんの『がらんどう』に登場する2人のアラフォー女性には、けっこう共感できるものがあった。

同性限定の友達Tinder、ほしくないですか?

すばる文学賞を受賞した『がらんどう』は、38歳の平井と、42歳の菅沼という2人の女性が登場する。平井は男性を好きになったことがなく、結婚願望はないが、子供はほしいとどこかで思っている。一方、菅沼は男性と恋愛はできるが、トラウマがあって結婚は望んでいない。そんな2人は職場で出会い、男性アイドルグループの推し活を通じて意気投合し、ルームシェアを始めるのだ。

本筋とは微妙にずれるが、私は物語の中で平井と菅沼がルームシェアを始めたとき、ちょっと羨ましかった。より正確に言うと、ルームシェアまでしなくていいけど、「恋愛や婚活のマッチングアプリじゃなくて、独身女性同士のマッチングアプリがあったらやってみたいなあ」と思ってしまった。電車に乗れば友達がいるものの、実は徒歩圏内には友達や知人が誰もいない……そんな独身はきっと少なからずいるはず(私はそうだ)。そんなにべったり付き合わなくていいけど、1ヶ月に1回くらいなんとなく安否確認をし合って、ピンチになったり大きな家具を買ったりしたときに呼び出せるようなゆるい友達が近所に2〜3人いたら、わりと怖いものなしじゃないか? 高齢化が進むこの社会において、友達探しに特化した同性版Tinderがあったらわりと需要がある気がするし、私は課金するなあ。

それはいいとして、ルームシェアを始めた平井と菅沼は、生活自体は順調に行くものの徐々にお互い秘密を持ち始める。平井はアプリを使った婚活を開始し、菅沼は不倫の恋人ができてたまに外泊するようになる。ただ、2人の生活はそこで終わったりしない。平井の婚活は難航するし、菅沼の恋愛も長くは続かないだろう。2人はやっぱり同じ家に帰る。その様子は少し寂しいものがあるが、寂しい中にも、ちょっとした希望を感じるのだ。