端から見れば狂っていたとしても
でも、私が狂ったら、どうなってしまうんだろう? 徐々におかしくなっていく自分も見てみたいと少し思った。
40代で結婚できないとして、まあ別に大した問題ではないんですが、この「狂っている」っていうのも曖昧ですよね。生活圏内で観測できるってことは、「狂っている」「おかしい」とかの認定も、ただ自分には合わないとかちょっと変な人程度で、割と判定が甘い気はする。もちろん、自分を客観視できないからこそだんだんと狂っていくのだと思うが、何を原因にして、どんな風におかしくなっていくのだろう。割と興味がある。狂ってしまった私を想像するだけで面白い。今まで人生、割と順調だったし大きな弊害があったとしてもなんとか乗り越えてきたのに人生の中盤にしてとち狂ってしまうだなんて、人生はなんてドラマチックなんでしょう! と思う。中年にして第二の人生が始まるだなんて最高じゃないか!
さらに言えば、2022年7月に内閣府から発表された「少子化社会対策白書」に記載されている生涯未婚率(「45~49歳」と「50~54歳」未婚率の平均値)を見ると、男性は28.3%、女性は17.8%にものぼるそうだ(2020年)。仮に「40代までに結婚できなかったら人は狂う」説を一度受け入れたとして、数字だけ見ると、まあまあな数の人間が狂っているということになる。そして、その狂った人間は普通に暮らしているし、日常のなかでも割と高い確率でどこかで何かしらのコミュニケーションを取っている。気づかないだけで。そうなると、結構な割合の人が狂ったとしても、その狂ったままの状態で人はたくましく生きていけるということになる。
それなら、いいんじゃないでしょうか? 普通で人と同じであることが、本当にいいのでしょうか? 結婚だけではなく、あらゆることに対して文句を言ってくる人やケチをつけてくる人は今までにもいたし、これまでもいると思う。でも、その人が自分の人生や生き方に責任を取ってくれるわけではない。自分だけにしかない自分なりの正しい答えを出すためにあがき続けるしかないのだと思う、それが端から見れば狂っていたとしても。
人には人の、自分には自分の狂気を見つけて生きていきましょう。
Text/あたそ
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