「家族」の物語が苦手な私が推したい「家族」の小説、タイ人作家の『観光』

by Sarah Medina

(二次創作だけど)小説を書くのが得意なほうでよかった〜と思うのは、副業になるから、なんて理由ではもちろんない。普通に想像できると思うが、賞をとってデビューするならともかく、趣味程度に小説を書くのが得意でもお金はまったく稼げない。

そうではなくて、よかったと思うのは、世の中や周囲の空気に「およよ?」とちょっと違和感を覚えたときに、わりかし穏便な方法で「そういう感じよりこうだと思います〜」と、アピールすることができるからだ。

なんて、抽象的なことを言っても意味がわからないと思うので、もう少し具体的なことを述べよう。たとえば「推しAとBが結婚し、子供を生み、幸せな家庭を作りましたハッピーエンド!」という物語をpixivで見たときに、真正面からそれを否定しに行ったら角が立つし失礼だし、ただの嫌なやつになってしまう。「推しAとBは結婚しなくてもいいのではないか」「子供がいなくてもいいのではないか」「そもそも“幸せな家庭”とは何なのか」みたいなオピニオンはこの場合、同じように小説を書いて、その中にテーマとして盛り込み、読んでくれた人に「面白い!」と思ってもらうほうが穏便だし、効果的にアピールできる。

もちろんこれは二次創作に限った話ではなくて、世の中には「真正面から言い返したりオピニオンをそのまま書いたら嫌われるが、小説を書いてその中にテーマとして盛り込むと案外受け入れてもらえる」みたいなことが、けっこうあると私は考えている。しかし、「そういうわけだから君も小説を書こうぜ!」などと言ったら大半の人は「ええええ〜!?」となってしまうと思う。

私が主張したいのはそうではなくて、真正面から言い返したり、オピニオンをばしっと言う以外の発信方法を何か1つ持っていると、案外受け入れてもらえるかもしれないということだ。絵を描くとか、服を作るとか、料理するとか、自転車に乗るとか。30代半ば以降の人生において、何か1つそういう自己主張の手段を持っておくと、思わぬところで自分を救ってくれることがある(ような気がする)。

「家族の絆」を書いた短編集『観光』

 さて、そういうわけで「(世の中への不平を真正面から言うのではなく)好きな小説を紹介する」というのもまた穏便な自己主張の1つなのだけど、今回はタイの作家ラッタウット・ラープチャルーンサップの短編集『観光』について語らせてもらいたい。

この連載の中でも度々言っているけど、私はいわゆる「家族の絆」みたいなものが苦手だ。しかし、この短編集『観光』のテーマの1つはその「家族の絆」である。

たとえば、1つめの作品『ガイジン』。主人公の青年には、アメリカ人の父親とタイ人の母親がいる。でも父親とは音信不通だ。主人公はペットの豚にクリント・イーストウッドと名付け、タイ人の女の子とは寝ずに、観光でタイを訪れるアメリカ人の女の子とばかり恋愛をしている。なぜそんなことをするのか――別に、アメリカ人の父親の面影を求めているわけではない。ネタバレになってしまうから言わないでおくが、ラストシーンで私は鳥肌が立った。

そして表題作『観光』。こちらはもう少しわかりやすく、母と息子の絆についての物語だ。ただし、主人公の母親は視力を失いかけている。仕事を休むことなど絶対になかった母親が目に見えて弱っていく様子は痛ましく、風景の描写が美しいからこそ、母親がじきにそれを見られなくなる……という物語に息が詰まる。