どうしたら「普通の家族」になれるのか

私は一体、何にこだわっているのかな、と思う。いまさら、母に対して怒っているわけでも謝ってほしいわけでもない。でも、許すことができない。たとえば、毎日のようにぶたれて怒鳴られていたこと、テストでどれだけいい点を取っても「褒めても意味がないから」とまったく褒めてくれなかったこと、中2で痴漢に遭った次の日には母の友達や親戚中に言いふらされたこと。嫌な思い出だけではなくて、いい思い出も同じくらいあるけれど、私のなかではどうしてもなかったことにはならない。その思いは、母が子育てをしていた年齢に自分が近づく毎に強くなる。

なんで私って適切な形で家族から愛されなかったのかな、とふと考えることもある。普通の家族みたいに振る舞えるのに、なんで本当の普通の家族にはなれないのかな。それって私が、過去を水に流さず、確執を抱き続けているのが原因だったりするのかな。考えても意味のないことばかりが頭を駆け巡る。

普通の家族が、この世にひとつもないことは知っている。いくら血が繋がっていようが家族と何のトラブルもないまま、なんの衝突もないまま過ごすなんてあり得ない。どんな人でも折り合いをつけながら家族というバランスを保っている。それが、一見すると普通の家族に思えるというだけで。

じゃあ、私ってどこで間違えたんだろう、子どもとしてどんな対応をするのが適切だったんだろう。いつも母の日や父の日、両親の誕生日が近づく度に考える。どうして、普通の人が持っている家族という関係性が私にはすっぽり抜け落ちているんだろう。いつになったら、私は家族を許すことができるんだろう。何をしたら、何をされたら、すべてを水に流して、普通の家族みたいになれるんだろう。会えば、それなりに振る舞うことができるのに、どうしてもいつも上辺だけをなぞるような、他人行儀のようになってしまう。

母の日は、私には関係がない。家族とは仲が悪いから。たぶん、来年もその先も特に何かすることはないのかもしれない。でも、そんな自分も意地を張っている子どものように感じられてうんざりする。母の日なんて嫌いだ。いつもこの時期は、胸に罪悪感を抱きながら、何にも気が付かない振りをして、時が過ぎ去るのをじっと待つ。

Text/あたそ

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