誰も味方のない単数でいる女は魅力的だ――「そそる女」のヒントがある『血も涙もある』

by Shamin Haky

Amazonで検索すると、世の中には星の数ほど「レシピ本」があるとわかる。初めて一人暮らしをする大学生向けのような基礎レシピ本から、ネットでバズったレシピを集めた本、ワーママのための作り置きレシピ本、酒の肴にしたいおつまみ本から、世界各国のエスニック料理本まで、数はもちろん、その種類も実に豊富だ。

ところが、どんなレシピ本であれ書いてあるのは料理のレシピだからと無差別に選んでしまうと、思わぬところで地雷を踏んでしまうことがある。個人的に、注意したいのはアラフィフ〜アラ還世代の方が著者の、レシピだけでなくコラム部分も多い料理本だ。「お母さんの料理は家族への愛のしるし」的な、その思想自体を強く否定したいわけじゃないけど、「お母さん」「家族」「愛」などとウッと圧を感じてしまう言葉を、この世代の方が著者の料理本はけっこう無邪気に並べてくるのである。お母さんだってあまりにも忙しかったら台所になんて立たなくてもいいと思うし、家族に愛を示すためではなく、自分がただ楽しむために料理したっていいと思う!

そういうわけで、私はレシピ本を買うとき、なるべく若い人が著者でコラム部分が少なめの、「早い、美味い、安い! それ以外は特にない!」みたいなものを選ぶことにしている。好きな料理研究家はリュウジさんです。

山田詠美の『血も涙もある』を読んだとき思い出したのは、そんな「表立って批判したいほどじゃないけど圧を感じる〜!」と私が萎縮した、過去に読んだ数々のレシピ本のことであった。本書の登場人物である、沢口喜久江は御年50歳。「おいしいものを大好きな人たちに食べさせてあげたいなーと思うことだけでここまで来てしまったのよ」と語る、売れっ子の料理研究家だ。

三人の視点から話が進む不倫物語

『血も涙もある』は、三人の視点から話が進む。まずは、さきほど語った料理研究家の沢口喜久江。それから、その夫でイラストレーターである太郎。最後に、沢口喜久江の助手であり、その夫の太郎と不倫をしている、和泉桃子だ。

沢口喜久江は夫と桃子が不倫をしていることになんとなく気づいているが、泰然と構えていて二人の関係に口を挟まない。一方、太郎はこれまで桃子以外の女性とも火遊びを繰り返してきているが、桃子にはそんな過去の女たちとは違うところを見出し、ちょっと本気になり始めている。そして桃子もそんな太郎にわりと本気だが、本気のわりには嫉妬でドロドロになることもなく、けっこうあっさりしている。

主人公は一応愛人である和泉桃子のほうなのだが、レシピ本のトラウマがあるせいか、私の意識は読んでいる間どうしてもこの、妻である沢口喜久江に注がれてしまった。「心からの笑顔は、ほっかほかの炊き立てごはんとおんなじよ」と自分の料理教室に通う生徒を励ます沢口喜久江、その太陽のような眩しさに、やはり「圧」を感じる! 

登場人物の中には「あの人の料理本とか見てると、母性とか愛情とかが、もわっと漂ってくるんだよねえ」と私と同じような窮屈さを覚えている者もやはりいて、もちろんその母性や愛情が漂う感じに励まされる人もいるのだろうが、私の感性もそれほどおかしいわけではなかった……と謎の安心感を得た。